「……んー……朝あ?」

 柔らかな布団。いい香り。
そのダブルコンボは、睡魔を誘うのにはぴったりで、ほのかに部屋を案内された後すぐに小枝子は睡魔に襲われた。

「……まだ寝たい」
 カーテンの隙間から洩れる朝日にいらだち、カーテンを引っ張る。  ……ビリ、という小さな音におびえる様に飛び起きた。

(……え、あたし壊した!?)
 恐る恐るカーテンの接続具を見る。ほんの少し、切れ目が見えた。
(弁償¥? 弁償だよねこれって)
 気持ちよかったはずの朝が、とたん恐怖の事件現場に代わる。
ああ、どうしよう。どう見ても高そうな布を使っている。

「なんしてるんですか」
「うひゃあああお!!」
 窓越しに現れた、唐突な姿。
 見つめあうように、目があって思わず表情がひきつる。
窓越しにまで響くぐらいの声をほのかが上げるほど、小枝子の表情はへんてこだった。
 あわあわしていると、今度は千鶴の声が家の中から聞こえた。騒ぎを聞きつけたのだろう。

(どうしよう!!)
「小枝子どうかしたのかー?」
「なんにもおおお!」
「ああ壊れてますね」
「ほのかさんどこから!?」
 気がつけば隣にほのか。
「隣の部屋の窓から。窓ぐらい外からでも開けられますよ?」
「よ? って当たり前のように言われても」

 それは不法侵入だってできるといわれているようなものじゃないか。
(……うん、ほのかさんならやれそうだけど)

「大丈夫です、すぐ直ります。というか直せるんで、ここのメイドさんでも私でも」
「……お金は」
「かかりませんよ?」

(……良かったあ…………一日目にトラブって追い出されたら最悪だもん)
「それよりも、千鶴さんなんて姿」
 ほのかの言葉に千鶴を見てみると、ぜえぜえと息を切らせ汗だくになっていた。

「……さえ……この、叫び声が聞こえたから……」
「ごめん……」
 反射的に謝罪。走って駆け付けでもしたのだろうか。
その割には小さな声でも聞き取れたけれども。

「千鶴さん、無理しない。ほらはやく朝食ですよ」
「小枝子、平気か? 大丈夫か?」
「あなたはまず水分を取りなさい」
「平気……らもん……」
(セリフいえてもない!)
「とりあえず、先に行ってますので、早めにお願いしますね」
「小枝子は一緒に行かないのか?」
「馬鹿ですか、千鶴さん。身だしなみ前の女性の部屋に駆けつけるまでは目をつぶっても、着替えを待ってどうするんですか。
ただの変態でしょう?」
「友達はみんな目の前で着替えてくるけど?」
「……アイツら……」
かいぎょう  ほのかがぼそりとつぶやいた言葉は、小枝子の耳はしっかりキャッチした。かいぎょう  口元がひくひくとつりあがっている。かいぎょう 千鶴は不思議そうな顔をしたまま扉から見える場所から去って行った。かいぎょう どうも言葉の意味を理解はできていないらしい。

 ゆっくりと、鏡越しに映る姿を見つめる。
 いつもと一緒な自分が、いつもと違う場所で着替えている。
いつもと違う服を、いつもと違う人々と。

 どうってこともない、そんな現状。なのに、どこか浮遊感を感じる。
 自分が、浮いているというか、なじんでいないような。
 仕事のようなものだから、仕方がないのだかもしれないけれど。
かといって前がちょうどだったわけではない。
むしろ押し込められて痛いような、そんな感じだった。今のほうが楽。それは間違いないこと。

 なのに、前のほうが汚い自分にふさわしい場所だと、小枝子は思う。

 罰なのだ。全部自分への罰。
 弟を救えなかった、待ってと声を上げられなかった自分への戒め。
 生きることこそ罪のごとし、罰のごとし。まさに生き地獄也。

 それが、小枝子にピッタリな生き方。そうにきまっている。
(なのに、それを放棄してこんな豪華な部屋で、大歓迎されて生きてるあたしって、おかしい)
 自虐的な笑みが、口元に浮かぶ。

 それでも、望まれてここにいる。それがうれしい。喜んじゃダメ。
一瞬の夢に執着しちゃいけない。駄目駄目駄目。
 離れるのを最初から前提に割り切らなきゃ。

「小枝子さんーっ!! まだですか?」
「あ、はい。行きます行きます。すみませんー」
 あわただしく着替えを終える。新しく袖を通した服は、最近かぎなれないにおいがした。
多分、糊のきいた、新品の服の香り。

「おはようございます、小枝子さん」
「服かわいいか? 俺が選んだんだ!」
「千鶴さんまずはあいさつでしょう? 
お洋服、昨日からはしゃいで選んでたのは知ってますし気持ちは察しますけど、後です後。
小枝子さんもおなかが減ってるでしょうし」
「……ごめんなさい……おはよう、小枝子」

 無邪気な千鶴の笑顔。まるで、汚いものを知らずに育ったかのような幼さが、少し話しててきつい。
「おはよう。千鶴。ほのかさん。今日も一日よろしくお願いしますーー」

 そうだ。よろしく。
 求められるがままに、望まれるがままに。
小枝子なりの精一杯でふるまおう。それが、今の小枝子にまかれた使命のようなものなのだから。



「小枝子」
「……」
「小枝子―小枝子」
「…………」
「さえ、こー」
「ああもう。何っ」

 絡みつくような声で、ソファの後ろに張り付いて小枝子の顔を覗き込む千鶴に、しつこく呼ばれ小枝子は振り向いた。
ほのかが大量に買い込んできた雑誌やマナーの本を読んで、自分の世界に浸っていたというのに。まったく。

「今日の服、気にいったか?」
「まだ気にしてたの」
「似合うと思ったんだが……」
 悲しそうに、しゅんと千鶴がうなだれる。
「大丈夫。かわいいと思うよ?」
「本当か!」
「紫色のパーカワンピに、モノクロ太めボーダーのサルエル? だっけ。
楽ちんでいいじゃん? 頭にリボンつけなきゃいけない理由がわかんないけど」
「かわいいものはさらにかわいくならなきゃいけないんだ!」
「何その理論」
 さりげなく、小枝子を可愛いとほめているし。
それに気がついて、ちょっと恥ずかしくなる。
 千鶴は感情表現がストレートだ。
単に世間を知らないだけなのかもしれないが、恥ずかしがることもなく小枝子を褒めまくる。
嬉しそうに、きゃぴきゃぴと。
 かわいいものに対する反応はまるで少女のそれだし。>  突然、顔に何かがぶつかって視線をそっちにやる。
「何してんの?」
「このピアス好きなのか?」
「ああ、このハートの。この前も言ってたよね?」
「ずっとつけてるから」
「気に入ってんの。御守りみたいな」
「御守り……か」

 なぜか満足げに笑う千鶴。
 つい、小枝子は彼のほっぺをつねっていた。

「……いひゃい……」
「あんたには男女の恥じらいってものがないのかィ」
「恥じらい??」
「ああもう……」
 ぐずん、と鼻を鳴らしながら結局は小枝子のそばを離れようとしない千鶴。
 ペットのように、首の近くに顔をくっつけている。不思議といやなきはしない。
小枝子はゆっくり、雑誌のページをめくる。
 朝食が終わってから、ずっと千鶴はこんな調子だ。
たまに水分を取ったかと思えば、小枝子の周りをちょろちょろしている。
 そして頻繁に何かをすすめては、断るとしょぼくれて、受け入れると大はしゃぎしている。

 ほのかは仕事だとかでしばらく見ていない。一応メイドさんは別室に待機しているらしい。
千鶴からの直接的な命令らしい。彼女と一緒に居たいから、と。
 どう言われてしまえば、お手伝いさんであるメイドはその通りに従うしかない。
緊急用ブザーは、小枝子の首に掛けられているし。

 そもそも、心配されるような事態に発展するとは思えないけれど。
 つけっぱなしのテレビからは、昼間のニュースが流れていて雰囲気も何もあったもんじゃいし、千鶴はリボンのついた魚の形のクッションを抱きしめている。
なぜ魚かは不明。

「お母様は、やさしい人だからな。上がらなくても平気だぞ?」
「……でも、あんまり無礼すぎるのは……」
「中学1年生に、そんな高レベルな礼儀を求めないだろう、それも一般人の」
 千鶴の割には正論である。
「顔合わせといっても同居人としての紹介だけだから、上がる必要もない。それも、二人きりじゃないしな」
「そりゃあ、ほのかさんもいるけど、世間的には……」
「俺は変だとは思わない」
「……んー……」
「一緒に少しでも長くいたいと思った相手を、近くに呼んだだけだ。それのどこが間違った行為なんだ? 俺にはそれがわからない」
 千鶴はふざけてなんかいなかった。

 当たり前の事実だけど、だれもが恥ずかしがって言えないセリフをストレートに述べただけだ。
緩む口元を、歯を食いしばって小枝子は引き締めた。

「……そうだね」
「だろう??」
 とたん、千鶴は喜びに満ちた表情を見せた。
 その気持ちは素直に喜んでおく。彼から感じるものはただ一つ。好意。
それがどうして生まれたのかはいまいちわからないけれど。自分を助けてくれたから? それにしては執着が過ぎる。
 婚約破棄の道具にしても、無駄に尽くしてお金の無駄だと小枝子は思う。
最低賃金を与えれば、それで十分な環境を与えてもらっているというのに。

「なあなあ、小枝子。出かけたいことやしたいことはないか?」
「もう十分だってば。千鶴も何かしたら? 本読むとかでも、暇つぶしにはなるでしょ」
「わかった」
「!?」
 何を勘違いしたか、千鶴は小枝子の隣にソファをまたいでちょこんと座った。
 確かに、これなら本が読める。……同じ雑誌を、だけど。
「そういう意味じゃなくて」
「一人で本読んでもつまらないだろ? どうせここにある本は読み飽きた。
姐さんがいっぱい書庫に難しそうな本なら持ってるけれど、俺じゃ頭がついてけない」
「……ほのかさん何読んでるの?」
「なんか解読不能なヤツ」
「黒魔術?」
「だあれが、黒魔術師ですか」
「ひゃああ!!」

 背後から、冷たい紙パックを持ってほのか参上。
 エレガントな黒いレースワンピースに、半透明の、薄手の黒タイツ。
頭には黒の増加の付いたベレー帽。
(ほのかさんなら余裕で黒魔術ぐらい使えそうだ……)
 そんなことを小枝子に想わせる気はくが、彼女にはあった。
服装の影響もあるだろうけれど、紫に近い唇の色から放たれる冷たい息が背筋にかかるたびぞくりとくる。

「おみやげですよー」
「今日はなんだ? なんだ?」
「3層ムースですよー。ミルクトイチゴトショコラ。もう、外はこんなに暑いでしょう。
冷たいものでも、と目に付いたので買ってきたんです。すごくおいしそうだったので……」
 箱を開けた瞬間、甘くて上品なにおいが漂う。小さなケースに入ったムースは、いかにも高級品って印象。
外には紙レースでデコレーション。小さな三つ葉も、いかにもお洒落。そしてやっぱり高そう。
 口から滴るよ誰を拭い、小枝子はため息をついた。
 ああ食べたい。ああほしい……。のどから手どころか胃袋が出そう。

「小枝子さん目が野獣そのものです」
「いらないのか? なら俺が」
「駄目!! いる!!」
「……食べさせようと……思ったのに……」
 千鶴がしょげる。さすがにそんな返しを用意してたとは思わなかった。
「千鶴さん、小枝子さんに構わないで食べちゃいましょう?」
(……む) 
 その言い方はその言い方で、突っかかるようで嫌だ。
ほのかに含むところがあるかは不明だけれども。千鶴と違って、彼女の本意はうまくつかめない。
「いつだって、これからはじゃれれるんですから、ね?」
「……わかった」
「それに、冷たいうちに一緒に食べたほうがおいしいですよ。
小枝子さんに食べさているうちに千鶴さんは食べれない。結局一人で食べる羽目になる。おいしくないじゃないですか?」
「……うん。小枝子と一緒に食べたほうがおいしいな……考えてみたら」

 基本的に千鶴の思考回路は幸せにできている、気がする。失礼だけど。
こんなに前向きに浮き留めれれば、どんなに楽か。

「どうです? おいしいでしょう?」
「……ん。……はい」
 口の中にとろけるながら広がる甘い味。
「一人じゃ、おいしくない味ですよ……」
 ほのかは笑ってそう言った。人形のような、目の色が変わらないままの笑顔。
 的確な反応が浮かばずに、黙々とムースを口にしていった。
 千鶴は察しているのか何なのか、ちまちまと食べることに夢中でまず視線が上に向いてない。

「なあ小枝子」
「……?」
「後で、制服の一番かわいい着こなしを考えてみるか?」

 千鶴も、なんだかんだで本意は不明なのかもしれない。



「へえ、凝った制服」
 ベージュの大きなボタンが胸元のしたに3つあって、普通タイがある部分はビタミンカラーをく済ませたようなチェックのリボンが大きく結ばれている。
胸元は白い柔らかな記事で、首元に向かって広がっている。全体はワインカラーを淡くしたワンピースは武は自由に選択できる。
ただし、下には強制的に灰色の厚手のタイツを履くことになっているけれど。
 さすがに夏場は短いスパッツでもいいらしいけれど、とても細部まで作りこまれた、こだわりのデザインなのはわかる。
さすがは私立というところだろうか。男子生徒は、似たような感じの配色のブレザー。ベレー帽があり、その渕部分がチェックになっている。カラフルだけど、上品な色遣いのせいか全然いける。
上着の三分の四はミルクチョコレートカラーで、その間にもチェック、そしたはワインカラー……。
だいぶ手の込んだデザインなのは間違いない。
 それにしても。
 洋服を目の前にすると千鶴はとても生き生きとした表情になる。笑顔が頻繁に飛び出る。

「かわいいじゃん?」
「だろう!?」
 千鶴は満足げに声を張り上げた。
ちょっとびっくりして、小枝子は口元が固まった。
「これ姉さんが考えたデザインなんだ」
(……ああそれで、大はしゃぎ……)
 相思相愛だこと。まあ、ほほえましいけれども。
「学園が作られた時からずっとこれなんだぞ」
「へえー」
「幼稚舎のもかわいいぞ」
「本当だあ」

 たわいのない、おしゃべり。
気を張らないで自然体で返事を返せる。
 それだけで、小枝子には違和感を感じる日常。
 今まで自分がいかに下の世界を歩いてきたのか、しみじみとわかる。
今回の件は、いいターニングポイントだったのだ。暇な時に千鶴経由で働かせてもらってたくさん稼ごう。
 そうすれば、多少は日の目が当たる場所を歩けるかもしれない。
 前のままなら、落ちるところは予想がつく。
必死で体を売って、壊れて……もう自分すら思うように扱えなくなっていたかもしれない。

 そんな姉を見て、毛糸はどう思うだろうか。
それを考えると、寒気がした。

「大丈夫か? 顔色悪い……」
「平気。ちょっとクーラー強いかな……それだけ」
「そうか? ああ、屹度ムースで冷えたんだな。姉さん、暖かい紅茶頼む」
「わかりました。さっぱりとしたものを用意してきます」
 ほのかはUターンして、手をひらひらと振って去って行った。
 千鶴のムースカップはまだ半分ぐらい入っている。
テレビを見ているわけでもなく、ずっと二人の会話を眺めていたはずなのに、手を止めていたのか。
 さすがといえばさすが、お行儀よいというか。
目が合うと、不思議そうに首を傾げてくるあたり、無自覚のようだった。

「どうぞ。レモンティーです」
「ありがとうございます」
 冷えたコースターが心地よい。食器まで冷やしていたらしい。
 別に特別暑いわけでもなく、口から出まかせだったのにレモンティーの苦じゃない冷たさに酔いしれる。

「……本当にありがとうございます」
「いいえ。いいんです。あなたは私に感謝して、目いっぱい楽しんでいれば。それで十分私は助かるんですから」
「……? よくわかりませんけど……」
「考えなくていいんですよ。楽しみなさい」
「はあ。あ、レモンティーおこ割ありますか?」
「そうそう、遠慮なんていらないんですよ、貴方はそれでいい」

 満足げなほのか。ポットから、ゆっくりお茶を注いでくれる。
少しぬるくなったけれど、まだまだおいしい。
 ふと、背中に重力を感じる。

「……あ」
 千鶴が熟睡していた。本当良く寝る人だ。
 お金が膨れたから寝たのだろうか。だとしたら、まるで子供のようだ。
 たち振る舞いが幼いのは、もうなれてきたけれど。
そもそも、ひねくれた方向に幼いのが小枝子だという自覚は、十分本人も持っている。
 素直なだけ、千鶴のほうが周りも扱いやすく、かわいいだろう。
 素直にほしいものをほしいとせがんで泣きじゃくったのはいつの日か。
 我慢なんて言葉、考えもせずに実行してた。立てそうしなきゃ生きていけなかったから。
あの子が生きて、小枝子が生きる。順序は、あの子が先。
 絶対小枝子はおまけなの。あの子がいるからこの世に居座れる。
たとえ周りが逆だと思っていても、小枝子の中では変わらない立ち位置。

 タオルケットを黙ってほのかが千鶴にかける。
ぷっつ、とテレビを続けて電源をきる。小枝子は流れるようにして雑誌に視線を落とした。

 したいことを、したい。
 そんな欲求が押し寄せてくる。そろそろ自分を優先していいの? それともそれは思いあがり?
 わからない。自分の価値が。
 自分では、わかんない。
 何で相手によって自分の扱いが極端に違うのか。評価のランクもバラけるのか。
価値ある人間なのかそうでないのかさえ、自分ではわからない……。

お金を渡されても。
体を求められても。

求められたいものは、そんなもんじゃないから。


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素材はここでお借りしました。
NEO HIMEISM