ロッカーに、制服を入れた紙袋を詰め込んでため息をつく。
啓人の前に行くと、笑顔が釣る。幸せなはず、なのに。
千鶴は以前平気そうに笑っている。
絵本の読み聞かせも甘い声のままゆっくりしてみせる。
体調のチェックも、手慣れたものだった。
啓人の調子は今のところ安定していた。
出された食事はすべて平らげ、就寝もきちんと9時に行う。
そしてある程度部屋の中で歩く練習を繰り返す。
単調すぎるぐらい、安定していた。
顔色も良く、まるで最初から体調など崩していなかったようだった。
……もしそうなら、どんなによかったか。
「何してるんですか」
「! ほのかさん」
「覗き見してないで、入りましょう? お洋服買ってきたんですよね? 見せてくださいよ」
「……あ、はい」
言われるがままに、衣服をほのかに渡す。
するとガサガサと軽く中身を確認してから、彼女は個室に入って行った。
「啓人さん、お洋服ですよ」
「ほのかおばちゃんだー」
「おばちゃんは失礼ですよ、見え透いたお世辞……いくら私が美しいとしても、納得いきません。おばあちゃんにしてください」
(だからほのかさんは何歳なの)
ほのかの視線は優しげで、彼女はやっぱり子供が好きなのではないかと思わせる。
実は元々いろんなところで家政婦のようなことを繰り返して、子供を預かっていたのかもしれない。
そんな風格さえある。
ただ、子供側に対して強く身入りしてしまう傾向はあるようだけれども……。
特に千鶴にかけては、命まで投げ捨てかねない気がする。
それは依存というものなのだろうか。
それは小枝子と啓人の関係と同じなのだろうか。
現世に自分をつなぐための、理由。
死に急ぐ理由はないけれど、すぎる時間が無駄にしか思えなくなる、色のない世界になってしまうのはそうならなくてもわかる。
人一人で消えただけ? そう馬鹿らしいと笑える人は、世界の広い人だ。
小枝子の世界は、狭い。広げたところで、管理できる自信もない。
受け入れてもらえるかすら、不安。
第一、自動で広がっていくものだろうし……広がりかけたことは何度もあっただろう。
けれどもそれを、拒否してまで小さな世界を守ることに執着した。
その小さな世界が、小枝子の世界の中心だったから。
「見て見てお母さんー! 似合う?」
「あ、うん。ぴったり」
「わーい」
啓人に近づけないまま、小枝子は笑った。あんなに無邪気な笑顔を、失いたくなかった。
「……なんか落ちたぞ」
小枝子の近くに寄ってきた千鶴が、何かを拾い上げた。
鈴音が描いたメモのような手紙だった。
小枝子の顔を見た後、それを千鶴はじっと見つめ、ためらった後啓人に渡した。
何を書いてあるか確認をしていなかったけれども、小枝子はその行為を邪魔しようとは思わなかった。
それよりも、千鶴の顔色が少し悪いことに気が付いた。
「千鶴」
「平気だ」
体調を訪ねる前に、はっきり言い切られた。
「……どうせ、すぐ体調は元に元に戻る。そうだろう? 姉さん」
「千鶴さんのおっしゃる通り。私が良く聞く栄養剤を用意しておりますから、小枝子さんは今を続けてください」
(……今を?)
眉根をピクリと動かして、小枝子は啓人の様子を眺めた。
ゆっくり開いた手紙を見て、啓人は一瞬目をぱちぱちやった。
そしてたどたどしく読みあげて、複雑な表情を浮かべた。
「……わかんない文字があるー……」
読めなかったらしい。
まあ、ひらがなですら全部読めなくても仕方がない環境に彼はあるのだけれども。
「啓人の、友達が遠くへ行っちゃったんだって」
「鈴音ちゃん?」
「そう。そういう名前の子らしいな。仲良しだったのか?」
「うん、すごく大好きだったよ。でもどうして?」
「お父さんのお仕事の関係だって」
「……お父さん…………」
啓人が、ぐずるような甘えた声で言った。
「でも、代わりにお見舞いにその子の親戚のお姉さんが着てくれるって書いてあるぞ」
「本当!?」
ぱああ、と明るくなる啓人の表情。
それに対してにこにこしたままうなずく千鶴。
「楽しみだなあ」
啓人は、手紙を抱きしめて言った。
次の日は、千鶴が久々に学校まで張り付いてきた。
比喩表現ではない。常に張り付いてたのだ。
小枝子のクラスまで送り届ける間ずっと生きをきらせていたので「あたしが送ってくよ?」っていうと頑固拒否された。
理由は小枝子が男に手を出されるのがいやだから、らしい。
そんなこと、絶対にありえないのに。
理事長の身内の彼女に手を出すなんて、地雷を自分から踏みに行くようなものなのだから。
まあ、逆に千鶴に手を出すとかならわかるけれども……。
腕を丸ごと抱きしめて、それはもうべったりしていた。
でも愛想を振りまくのは忘れない。
その後すぐに教室の席に座らせれて、周りの女子に小枝子を頼むと目の前で言い、去っていった。
言われた女子たちも戸惑いながら「はい」とだけ答えた。
無理もない。小枝子だって何が何だか分からない。‘
(制服、あたしより似合わない……)
そんなことを考えつつ、千鶴に手を振った。
「無事やってるみたいで」
後方から声。
「中村……」
「お願いですから別れるとかややこしいことしないように。僕相談乗るんで」
(……佐久弥兄さんとややこしくなるもんね……)
「はいはい」
「ってわけで賄賂です」
つい、と駿は何かを差し出してくる。
「……これまえ千鶴が配ってたチケットじゃん」
「あ、やっぱ覚えてたか……チッ」
「あたしは顔パスだからいらないんだってさ、千鶴が言ってた」
「……ムカツク」
中村がいらついた表情で歯をギリリとやった。
「それよりどうせなら古着ちょうだいよ」
「……僕の着るんですか? あなたが?」
「弟が」
「あー……そういう理由なら譲りますけど」
小柄な駿の服なら、そこまで古くない良品が手に入るだろう。
持ち物もすべてきれいに扱ってるようだし、古着ならもし汚れてしまってもあきらめがつく。
新品でだいぶ服を買ったけれども、そんな定期的に買い物をする気分にはなれなかった。
ほのかや千鶴に頼むと高額なものを選んできそうで怖かったし。
田村と鈴木がおびえるようにこっちを見てるので、大丈夫だよと笑顔を向けておいた。
間違いなく原因は駿。彼はクラスでは浮いている。
なにが腫れもののような扱いの原因なのかは、話しているときに感じるとげとげしさと女の感から生まれたのじゃないかと思う。
どうも女子にたいしての振る舞いはきつく、男にも冷たい部分があるし。
ほとんどの人を敵視しているというか……。
小枝子に対しても、まだどうもライバル心自体は抜けていないらしい。
「絶対戻ってこないでくれる?」
「あたしだってそんなのごめんだわ」
「夏休み中に分かれるとかありそうでいやだ……」
「失礼な」
「だって学校がない分常に一緒で、猫かぶれるわけ?」
「あのねえ……」
「千鶴さんと、相性いいタイプには思えないんだけど、安藤は。手が速そうで、割り切り恋愛しそうで……」
「声ひそめてくれない?」
「千鶴さんは、間逆だと思うし。絶対あれどうっ……ぐっ」
小枝子の手が勝手に動いていて、駿の口元をふさいでいた。
そりゃあ、駿の恋人である佐久弥は手が早い男だしきっとそれとも比べているのだろうけれど。
あれは、自分へのいいわけだったのかもしれない。
女を抱くことで、自分は女にしか興味ないと自分にすりこんでいたのかもしれない。
気分屋で、神経質な部分がある男だったから。
時たま渡された遊びついでに買ってきた土産は、罪悪感から来ていたのだろうか。
まあ、そんな佐久弥に対しての憶測は置いておいて。
「下品だからこれ以上は言わないで」
冷や汗が額を伝う。
多分、言いたかったことはあたっているのだろうけど、曲がりなりにもここは中学で、当然生徒たちはまだ子供なのだ。
思春期真っ盛りの中にこんな話題を振りまいてはいけない。色々危ない。
(……まあ誰も千鶴が手が早いとは思わないだろうけどさ)
そうだったらむしろびっくりだ。常にバックに小さなお花散らしてるような、そんな人なのに。
「これ以上騒いだらあんたが非処女だってばらすよ?」
どっちもどっちな脅しを駿にかけた。
「別にばれたっていいし?」
カラッとした顔で駿は言い切った。
世間体など気にも留めていないという感じ。
まあそこまでもめて、愛してるとアピールされれば自信もつくだろう。
かいぎょう
多分、気持ち悪いと罵られようが「愛してるから」と冷笑を浮かべて発言者を見つめるのだろう、駿ならば。
自分の愛した人の許嫁だと誤認していた相手にさえ、敵視バリバリだったぐらい、気が強いやつだから。
(……そこら辺は正直うらやましい)
自分の愛に疑問視を持たない。相手が好きだとゆるぎなく想う。
何が2人の出会いだったのかは分からない。
惹かれあった理由すら、知らないけれど、確かに求めあっていた。
あれが、正しい恋愛という形だろうか。
小枝子は、色々な経験から当てはまるようなものを探してはみたけれど、やっぱりわからなかった。
適当に遊んで、その相手の彼女にピンタをくらって、お金もらったからと答えて、さらにはたかれて……彼女は泣いていた。
……自分でも最低だと思う。
人の心をお金で買って、めちゃくちゃにして。
そんな自分が、誰を想う権利などあるのだろうか。
ずうずうしい気がする。
「憂鬱そうな顔してる。今更佐久弥さんは返さないよ?」
「そんなんじゃない」
「ふうん」
(……釣り合い、なんて……考えなかった)
千鶴と小枝子。男と女。一応、恋人のふりを頼まれて、そのふりをしている。
けれどもお互いうっすら引き寄せあってるのは、小枝子にはわかってる。
いわゆる曖昧な関係。
千鶴の本心は知らない。触れたくない。
当然のように、約束だからと返されたらともうと、たずねられない。
そんなふうに不安になるのは、やっぱり好意を持ってるから。
それがわからないほど、小枝子は子供じゃない。
純粋な愛情表現の仕方は、子供並みにわからないけれど。
一瞬的な恋心を抱かせる能力は、確かに人並み以上だ。
けれども人に好かれる生き方というものがわからない。
「千鶴さんに望まれてるんだからいいじゃん、そんな顔しなくても」
(……表向きは両想いの 恋人だもんね)
「……本当に、そう見える?」
「? 千鶴さんは、あんたのこと大好きに見えるけど」
「なら、いいんだけど」
「あの人はそんなに器用なタイプじゃないから」
「知り合いみたいな口を」
「知り合いだからね」
「あたしと大差ないでしょ? 1年なんだから」
「……話してないんだ、やっぱ」
駿が口元をもごもごやった。
何か隠してる、と直感的に小枝子は分かった。
けれども、千鶴はきっと詮索されて喜びはしないだろう。
知っててほしいことはきっと自分で言い出すタイプだ。
だから気が付かないふりをして、朝の読書を始めた。
駿もその場からどいて、自分の文庫本を取り出した。前の約束もある。
それからしばらく、読書タイムは続いた。
一日の授業も、取り立て何もなく、無事過ぎていった。
「安藤さん」
「あ、鈴木さん、田村さん」
昼休み。千鶴に持たされた弁当箱を広げると、2人が寄ってきた。
「あ、すごいちらし寿司だあ」
「おいしそうー」
「少し食べる?」
2人があまりにも物欲しげに言うので、小枝子は笑って重箱いっぱいのちらし寿司を差し出した。
卵にかににいくらに……具だくさんで、本体の量も大量。
普通の女子一人じゃ食べきれない。
小枝子は平気だけども、どうせならわいわいやりたい。
「いいの? やったー!!」
「いただきまーす」
二人とも、自分の箸まで持ってきて、お弁当のふたに取り分けては口に運んでいる。
満面の笑みで食べているので、小枝子もゆっくりと口に運んだ。
(……あ、おいしい。当然なんだけどね。ほのかさんか千鶴が作ったんだろうし……この量は千鶴かもだけど)
彼は過剰なぐらい小枝子に食べ物を与えたがるから。
デブ専なのだろうか。んなわけないか。
(……単純に喜ばせる手段だと思ってるんだろうな。まあ事実うれしいんだけど)
もくもくと、三人でお弁当を分け合ったりして昼食を進めていく。
「そういえばさ」
鈴木が小枝子の重箱から伊勢エビを器用に取り出してかじる。
「んー?」
「駿といつの間に仲良くなったの?」
「駿?」
「中村」
「あー……」
そう言えば、あいつはクラスでは浮いているのだ。忘れていた。
「特別枠で入学したから、とっつきにくくてね……誰もつるまなかったのに。性格もあれだし」
「別にそうでもないけど、まあ口は悪いけど」
「やっぱり、千鶴さんと同じだから?」
「千鶴?」
「ちょ、その話していいの?」
「あ、ごめ」
「??」
鈴木のことを田村が強引に途切れさせる。
やっぱり、何かがあるのだろう。
小枝子はとりあえず鈴木のたっぱーからブロッコリーを取って、食べた。
「よくわかんないけど、とりあえずご飯食べない?」
気にならないわけがない。
だけど一度探らないと自分に決めた以上、それを変えたくはない。
もし逆のことをされたら、屹度小枝子は千鶴を嫌いになってしまうだろうから。
千鶴がそうとは限らない。だけど小枝子はしたくない。
「何があっても、今の千鶴が好きだから別にどうでもいいよ」
「大人ぁ」
田村が感激するように手を組んで言った。
鈴木は箸を止めずにニコニコしている。すっと田村の前にあった伊勢エビを奪い取ったりしつつ。
「……そんなんじゃ、ない……よ」
(単に自分にも引け目があるから……)
「愛あればこそ?」
「純愛―」
はやし立てる二人に、とりあえずの笑顔を返す。
冷めた目線を駿が無言でこちらに向けていたけれど、すっと視線をずらして食べることに集中した。
あとは普通に担当の職員室を掃除して、午後の授業に出席。
職員室では、教師からの視線を感じたけれど、そりゃそうだ。
理由が丸わかりなので、気にせずホウキをパタパタやった。
ここの生徒は基本がまじめなのか、毎回ぴかぴかになるまで掃除を気っ散りするので、
たまには手抜きでもいいぐらいなのに、どんどん磨かれていく。
時々、大人のスーツを着た人々がやってくるから、それを意識しているのかもしれないけれど。
あの人たちは、政治家とか、何かのスポーツや芸術のお偉いさんだろう。
新聞で見たような顔ぶればかりだから。
教師たちは口に出して小枝子に何かを言うことはなかった。
取り立てて引きすることも、顔をしかめることもなかった。
それでも、見た目が派手な分気を使うようにはしていた。
馬鹿なりに、敬語で教師と話すようにしたり、ゴミが落ちてたら拾ってみたり。
自分がここへいていいという証明がほしかったのかもしれない。
やな女じゃないと、自分に自分を売り込む要素がほしくて……理由を作りたかったのかもしれない。
そんな積み拭いを繰り返しているうちに、多少は気分が軽くなって行った。
花壇の水やりだとか、そんな些細なことでも模試ふと見た人が千鶴の彼女としての自分を認めて、
千鶴のイメージを上げればいいな、と。
下心満載な時点で駄目なのかもしれない。
けれど、それでもいい。何もしないよりは満たせれていったし。
にこやかに迎えにきた千鶴にも、駆け寄っていくことができた。
多少は自分を好きになれた。
「小枝子、今日は何かあったか?」
「んー? あ、ちらし寿司美味しかったよー!! みんなで食べた!!」
「そうかあ、よかった。小枝子が好きかな、と思ったんだ。この前の夕飯で、お寿司たくさん食べていただろう?」
「ああ、ほのかさんが握ってくれたやつ?」
「そうだ。姉さんは板前経験もあるからな」
(……ほのかさんはだから何者なの……??)
シャリのふんわりとしたおいしい握り寿司だった。
知り合いの漁師にたくさん魚をもらったからと、自分でほのかは魚をさばいていた。
しぶきを上げてでっかいカジキマグロをきっている姿はちょっと狂気じみていたけれど。
小枝子よりも小さな慎重で、よくあんなに力が出るものだ。
しかも早い。プロだと聞いて、納得するレベル。
千鶴の食が細い分、ほとんど小枝子が平らげた。
美味しかったのもあるけれど、
ほのかが作れば作るほど食べる小枝子を見て調子に乗って面白がって大量に作ったというのが本当なのだけれど、
千鶴はどうやら気が付いていないようだった。
まあ、贅沢できたので不満はないけれど、結局は種がなくなるまで二人の戦いは続いた。
次の朝はさすがに食欲がなかった。
千鶴はほとんどゼリーを食べていたせいか、普通にスコーンをかじっていた。
「ごめんな、様子見に来てやれなくて」
「いいよ、クラス結構遠いって聞いたから、いちいち短い休みに来るの大変でしょ?」
「……それでも」
「千鶴は気を使わなくていいの。あたしは、十分尽くされてる。もったいないぐらいにね。
お菓子だって食べ放題で、みんなやさしくしてくれる。何が不満だって―の。千鶴もいるし?」
「……それじゃ軽いんだ」
「軽い重いって、そんなの関係ないでしょ? 千鶴、あたしは偶然助けただけで
……そりゃあ、啓人のことをしったら手を引けなくなったかもしれないけど……」
「そんなんじゃない……そんな理由じゃない、俺は」
千鶴にしては妙に早口だった。
「……俺はそんなきれいな……っ」
ぼそぼそとした声で千鶴はそう言って、踵を返した。、
「帰ろうか。きっと啓人も暇してる」
「でも今日はほのかさんがフルタイムで相手してくれてるから……まだ気楽だよ」
「……姉さんは、いつも俺のために動いてる。まるでそれが義務かのように」
千鶴は少し足早に小枝子の前を歩く。
意識して早足にしているのがわかったから、小枝子はあえて後ろをついて歩いた。
足の遅い千鶴だから、それはちょっぴりテンポがずれていてしんどかったけれど、
きっと表情を見られたくないのだろうし、気を利かせて小枝子はゆっくりと歩を刻む。
廊下の真ん中を、つかつかと進みながら、千鶴の背中だけを見つめた。
振り返ってはくれないだろうか。
こっちをみてはくれないだろうか。
千鶴が深刻そうな言葉をつぶやくたび、胸がきしむ。
思い当たる自分の事情にすり替えて、自分を傷つけてしまう。
「啓人、外へ出れるようになるかな」
千鶴からの返答はなかった。
「お姉ちゃんって呼んでくれるかな」
また無言。
「……あたしを見てくれるかな」
「……それは、小枝子が啓人ゃんと見てやらないと、無理なんじゃないのか?」
低いトーンで千鶴は言った。
「……自分を受け入れようとしてない人に、素を見せる人はいないと思う」
「千鶴……」
「それが、小枝子に当てはまるかは別として」
振り向いた千鶴の顔は笑っていたけれど、どこか悲しげだった。
「…………」
想わず、千鶴の服を引っ張った。
「そうだね」
そのまま強引に千鶴を引き寄せる。そしてその唇を奪った。
「じゃああたしをみて」
(……やばい、衝動的に)
自分を見て。そんな気持ちで先走った。逃げたい。
けれども、思い切り握ってしまった制服から、手が離れない。
千鶴は振り切ろうともせずに瞬きを繰り返していた。
多分、状況を理解しようとしているのだろう。
当然のごとく、周囲の生徒は唖然としている。
学校内で堂々とキスなんて、普通はありえないのだから。
まあ、お咎めはきっとないのだろうけど。
もしかしたら千鶴は彼女アピールをしてくれたと解釈するのかもしれない。
そう思うとちょっと涙目になってきた。
数分たっても、千鶴は固まったままだ。
そして、動き出した瞬間牛、と小枝子を抱きしめちょっぴりだけ唇を強めに押し付けた。
「……俺は、最初から小枝子が好きだから」
ざわめきの中かき消えるような声で千鶴。
「ずっと前から……」
そしてゆっくり小枝子から身をはがす。
微笑をした後、千鶴は嬉しげに小枝子の腕を引っ張った。
(馬鹿だあたし……啓人のこと考えなきゃなのに千鶴も受け入れたいって思った。
本気で。そんな余裕ないくせに……欲張って……大馬鹿だ。自分のキャパ考えなさすぎる)
暴走しすぎた。最近の自分は衝動で動きすぎる。
昔は、計算して生きてこれた。辛くても、代わりにお金がやってきた。それで、守るべきものを守った。
その守るべきもののためにつながってるものを私情のせいでややこしくしようとしてるなんてありえない事態になっている。
(ああもう感情が抑え込めれたらいいのに)
感情で、今までしてきた努力をなしにするなんてバカがすることだと思っていた。
だけれど今は、それが本当なのか、自分がバカなだけなのか小枝子にはわからなくなっていた。海洋
胸がかゆい。頬が火照る。ああ。
「小枝子、今日はどこか寄り道しようか」
「でも」
「啓人はいい。たまには息抜きしてから相手をしてやったほうが、お互い楽しめるだろう?
最近の小枝子は、ため息が目立つ。そんな母親を見て……啓人はうれしいと思うか?」
正論すぎて返す言葉が出ない。
「……そんなに遅くならなくていいならいいけど……」
「大丈夫だ、帰りはタクシー予約してあるから」
早めに切り上げて電車でいいじゃん、と思いはしたものの、なぜだか言い出せなかった。二人でいる時間がほしい。
とくに話こともなくていい。
「小枝子の趣味で、服を買えばいい」
「たくさんもらったばっかじゃん」
「俺のを選べばいいだろ? もし嫌なら。小枝子のも、一着ぐらい買っていいと思う。
姉さんや俺の趣味の服だと、多分外を走り回るのには向いてない」
(まあ、それはたしかに……なんだけど。甘い感じの姫系やお嬢系ばっかだったし?)
「最近身長が伸びてきたから、服がきついんだ……」
「男子は成長期だからねー……まあ女子も伸びるんだけど男子ほど極端じゃないし?」
多分、小枝子はこれ以上ぐんと伸びはしないだろう。
でも、背の高い千鶴も想像しにくい。
今でさえ、顔立ちに釣り合ってない感じなのに。
「今いくつよ」
「168」
「えー……意外とでかい」
「そうか?」
「千鶴だからでかく感じるんだけどね」
「……なんか傷ついた」
「体重はどうせあたしと大差ないんでしょう?」
「多分な」
「ひっどー!! あたしも傷ついた!!」
「ごめん……」
「謝られるとマジっけありすぎて笑えないからやめて!」
(……まあ、千鶴は華奢だし……筋肉もなさそうだし……あたし胸あるし、自分で言うのもなんだけど!!!)
ふくれっ面で千鶴を見つめる。
何を勘違いしたのか千鶴は小枝子のほっぺをふにふにつついた。
軽く笑って、さらにつつく。
「……何してんの」
「やわらかいなーって」
「喧嘩売ってる? ねえ」
「いや。ほっぺが柔らかいほうがぬいぐるみみたいで俺は好きだ」
「たとえがあんまりなんだけど」
(……やばいどんどん口が悪くなる。……ってか素まるだし……)
でも。
(……何だろう、笑っちゃうぐらい楽しいや)
ツン、とすねるように千鶴の手を振り払う。
「ほら、目立ってるから行くよ?」
校舎を出て、げた箱を抜けて校門でまた落ち合う。
案の定、千鶴のほうがたどり着くのが遅かった。
ふらふらしながらやってくるので、転びそうになった彼を小枝子がキャッチ。
(……あたしこんなに軽くないかも……)
さっきの言葉を思い出してため息。
ちょっと戸惑った後、笑顔をうかb寝て「ありがとう」と千鶴は体をどかした。
「自分のために無理してるのがありありとわかるのも、結構つらいんだよ」
千鶴はゆっくり歩きながら言う。
(……ほのかさんのことを言ってるのかな……まあ、あの人の場合好き好んで世話やいてる雰囲気があるけど)
まるで実子のように。
毎朝千鶴の体温を測ってみたり、具合は悪くないか尋ねている。
そんな光景が当たり前の生活をしていれば、千鶴から小枝子を突き放すことはないだろう。
啓人との、事実を知ってしまえば直さらに。
普通の人ならあっさり手を引いて別の子に乗り換えるだろうけれど、彼にはそれはきっと無理だ。
「だから笑えるぐらい余裕を作るのも、相手のためだって、遊んでいていいと思うんだ。だから今日は思い切り遊ぼう」
「千鶴さーん、あたしかけっこがしたいでーす」
「……殺す気か?」
二人で笑いあってみたり。
ちょっと毒のある冗談も言えるようになってきたのが、少し嬉しい。
かいぎょう
「どうせなら、せっかく千鶴と遊ぶんだから家庭科っぽいのやりたいけど……場所がねー……街中でどうやるのって感じだし?」
「屋敷に帰ったら、マラシュシュの続きでもするか?」
「んー……シュシュじゃなくてネックレスでもいいな、ビーズの」
「ビーズ……」
「あれ、結構難しんだよね。前友達にもらったのを見て、手を出してみたんだけどお粒の穴が大きいのでもゴムが結べなかったり……」
指と指がぶつかり合って、ゴムが間をすり抜けたりして、うまく結べないのだ。そのたびイライラして放置したりして。
「そうだな、今度一緒に指輪でも作るか? キットでも売ってるし……服屋が入ってるビルに、手芸店が近かったはずだし」
「詳しいのね、やっぱ」
「いや、行ったことはないんだ。実は」
「じゃあなんで知ってるの?」
「たまにモバイルでウェブ見てるから。パソコンも通販時に使ったりするし……あ、俺ローマ字打てるからな」
「あたしはブラインドタッチもできるけど」
「負けた……」
千鶴は本当にへこんだのか、しょぼくれた顔をして言った。
「昼休み、小学校のパソコンルームでタイピングゲームやるのにはまってたから、ただそれだけだって。
あんなの簡単だからなれればすぐできるよ。今度二人で、チャットでもすれば身に着くんじゃない?」
「……チャット」
「あ、パソコン2台いるか……それじゃあ……まあインターネット喫茶もあるし……ああでもやっぱりお金かかる……」
千鶴たちに無駄にお金は使わせたくないのだ。
毎日毎日食事だけでも贅沢なものを与えてもらっているというのに。
ほのかは気にしないで下さいというけれど、キャビアが大量に出てきたときはさすがにたじろいだ。
絶対、ランドセルに入れてもあふれるぐらいあった。
しかも全部小枝子のさらにのっていた。
(……あれは、ある意味怖かった)
食べても食べても出てくる料理。
「小枝子は気を遣いすぎだ」
「だって、もらってばかりだし、なんかあたしにも手伝いさせてよ」
「手伝い……とはいっても……姉さんがいるから、勝手に何でもこなしてしまうし、専門職はその手の仕事人に頼むし……」
「あたしも何かしたいよ……」
「小枝子はそばにいてくれればいい」
「そんな、冗談じゃなくて」
「冗談じゃないからな」
千鶴が、小枝子の掌をギュッと握る。
「ほかのだれかだって小枝子のそばに居たいのに、それの権利を俺は奪って隣に居るんだ。十分だ」
(そういう考えは、千鶴にも当てはまっちゃうんじゃ……)
男を立てる、とかそういうもんなのだろうか。
「望むなら、何でもするから」
「そんなこと言うなっ」
泣きそうな顔をして千鶴は叫んだ。
思わずびく、と肩が引く。
「……そんな簡単なもんじゃない……」
「千鶴?」
「自分を安売りするな……ッ! もう絶対するなっ」
このままでいたら、千鶴が泣き始めそうだったので、小枝子は彼の両手を自分の手で包み込み、そっとほほ笑んだ。
「……うん、約束する」
いざとなったら、自分を差し出しかねない気がするけれど、その本音は隠して小枝子は頷いた。
「あ、小枝子。あこでジェラート売ってる。食べるか?」
「いいの?」
「暑いだろう?」
「……じゃあ、頂きます。お金はあたしが出すけど、自分の分は」
「でも」
「一応、今月のお小遣い自体は貰ってから家抜けてきたから、ジェラートぐらいは払えるの」
それは嘘ではなかった。
千鶴は多少不満げではあったけれど、承諾してくれた。
「やっぱコーヒー味最高!」
嬉しそうにはしゃぐ小枝子を見て、千鶴は隣でタピオカミルクをすすっている。
まあ、千鶴のペースではジェラートは溶けてしまうだろうし、食べる物の選択としては無難な線だろう。会魚う
食べ物というか飲み物だけれど、一応タピオカが入ってるし。
かいぎょう
「さっきは、びっくりした」
唐突に千鶴は言った。
小枝子はじゃらーとにスプーンを突き刺して、きょとんとやった。
そしてしばらくして、何に対してのことばかり買いすると顔がぼっと熱くなった。
「俺は、間違ってないよな……?」
「え?」
「……何でもないんだ。何でもない。ただ、ちょっと道があってるか不安になっただけだ。気にするな」
(……まあ、交差点近いけど……ここ)
「大丈夫だよ。あたしが付いてる」
小枝子は、千鶴の腕をとって笑った。
3へ続く→
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