気がつけば、小枝子は見知らぬ街に居た。
 制服で、金銭も持たず平日の昼間にで歩いているせいか、ちょくちょく視線を感じる。 「……はあ……っ……」  のどが痛い。吐いたからか、走り回ったせいか。 「大丈夫?」  声をかけてきたのは、案の定親父。  涙眼で睨みつけながら、ああ自分の居場所はここ何だとさえ思う。むなしいけれど、しみついている週間から、即座に笑顔を作った。 「……平気です」 「ホテルで休もう?」 (どうせ、もつれ込む気なんでしょう?)  心で、哂う。惨めな自分にも哂う。  思考回路がもう、ゆがんでいる。穢れた女だから。 「…………」 「ね?」  いつも通りの言葉ではなく、脇出てきたのはむなしさと涙で。  わあああ、としゃがみこんで泣きだした小枝子に親父は戸惑い、あたふたした後その場から逃げて行った。 「大丈夫?」  また、誰かが声をかけてきた。  だけれどそれは若い女の声で、小枝子はゆっくり顔を上げた。  長い黒髪をゆるい三つ編みにまとめた、多分10代後半のメガネのおとなしそうな女性。ゆるい無地の灰色のシャツワンピの下に、デニム好きに―を履いて下はスニーカー。取ってもカジュアルな感じ。 「顔色悪いよ?」 「…………」 「とりあえず、休めるとこ行こう?」 「…………」  言葉が出ない。  やさしい人もいるものだ。  ……こういう人が、あの輪に入って千鶴の彼女を演じるべきなのに。こういう、綺麗な人が。小枝子なんかじゃなく……そう思うと胸がツキリと痛む。  彼女は鞄から未開封のミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、小枝子に渡した。 「これ飲んでついてきて? 近くにベンチがあったはず……ここは店ばっかで人ので入り多いし……多分具合悪いと酔うよ」  手を引かれ、小枝子は彼女のあとをゆっくり歩いた。  人ごみのうねりは、確かに気分を悪くさせていった。 「その制服着てるってことは……あの学校の子だよね? 送るよ」 「……いいです」 「どうして」 「嫌なんです」  あの場所は、自分の居場所じゃないから。そう言いたかったけれど、小枝子は口を紡いで黙り込んだ。 「何があったか知らないけれど……私、校内知り合いいるから旨く丸めこんであげる。だから、ね??」 「それでも、あの場所はあたしの居るべきものじゃない……から」 「何かもめたの?」 「違いますけど……」 「事情知らないから何も言えないけど、一応学校に戻ったほうがいいと思う。抜け出してきたんでしょ? この恰好じゃ。騒ぎになるよ」 「騒ぎ……」  その言葉で、千鶴たちのことを思い出す。これ以上迷惑をかけたくなくて、小枝子は頷いて彼女の言葉に従った。  時通りため息を吐きながら、足を引きずるように歩いた。  自分で自分が情けなかった。消えたら、心配をかけるという簡単なことさえ、考えることができなかった自分はやっぱり最低だ。  彼女に案内されたのは、人通りの少ない小さな池の前。ベンチも、小さくてボロボロな木製のものだった。それでも立っているよりは幾分マシだったから、小枝子はゆっくり腰を下ろした。  自分がこんなに弱いとは思わなかった。  むしろ気が付きつつあったけれど、思いたくなかったのかもしれない。  気が強いと自分では思っていた。だから、親父に体を売っても平気で学校に行けた。でも、結局は学校では周囲と距離を置いて、置かれて……自信がないから、手っ取り早く売りに逃げたのではないか。違う方法で稼ぐことだってできたはず。それ止め親父は望んで小枝子を受け入れた。若い女というだけで、えさになった。けれども対等の年齢の女子は違う。つまらない相手では去っていくし、えさになるようなもの……留め具も持っていない。  それでも事情があるから、小枝子はそれと真っ向に向き合わずに済んだ。  でも今は違う。普通の女子中学生になった。楽しく、しゃべる機会も台頭にもらった。けれども、今までそんな経験がなかったからただ会話を交わすだけでも一言一言が重かった。  もめたら、千鶴たちにも迷惑がかかる。そんなことを無意識に考えていたのだろう、きっと。今まで積み重ねてきた汚れをばれるのを恐れて、会話の渕でいつ汚い部分を出してしまうか不安で不安でたまらなかったのだ……。 「楽になった?」 「少しは……」  彼女の優しい目線に、憧れを抱いた。 「まあ、思春期って色々考え混んじゃってつらいもんだよ、だから……何かあったらメールでもして? ……心配なんだ、君のこと。私も特別人間関係うまくやれる人じゃないけど……黙ってはなれるのが、不安」 「でも」 「心配してる人たちがいるうちは、その場所に戻ったほうがいいよ? ほら、スカートがバイブで揺れて光ってる。携帯でしょ?」 「あ……」  その言葉で、携帯をポケットに入れっぱなしだったことに気が付く。すっとそれを取り出すと、ほのかから着信。気乗りしないままそれに応答。 「さえこさんっ!!!」  いきなり怒声。当然といえば当然だけれども。 「どこ行ってるんですか! 先ほど連絡いただいたから言いものの……」 「あ……」  視線でメガネの女性を見る。彼女は黙って頷いた。 「友香さんが発見してくださらなかったら、貴方迷子ですよ? 土地勘ないのに飛び出すなんて……千鶴さんにはどうにか隠し通せましたが、あの子事実知ったら知恵熱出しちゃいますよ、まったく……」  女性の名前は友香というらしい。 「すみません……」  言い訳するすべもなく、小枝子は地下あなく謝った。自分に非があることは確かだったから、まず先にその言葉が口から出た。 「慣れない環境に一人で頬り込んで悪かったと思いますけど……千鶴さんはとにかく、私は自由に動き回れるんですから、呼び出してくださいよ」  早口に、ほのかは言った。 「友香さん、お手数おかけしました。後は私が責任もって彼女を学園に送り届けますから、貴方もお戻りになられたら?」 「私が休学してるのを知っていて?」 「あら、そうなんですか」 「まあ、大した理由じゃなく留学の準備で……勉学が追いつかなかったら留学は延期する予定なので、きっぱり退学届も出すのもなんですし、不登校だと心配されるのも周りに申し訳なくて休学という形を取ってるんです。だから自由気ままに、買い物などできるのです」  そういう彼女は上品にコロコロ笑った。  実質先ほどから肩にかけている袋は、近くに合った店の名前のロゴが入っている。軽々と持ち歩いているあたり、洋服あたりが入っているのだろう。小枝子には、土地勘も流行のブランドの知識も描けているため、詳しくは不明だけれど。 「そうなんですか。また後日、お礼の品をお送りしますね」 「いいえ、私たちはそんなことをしなくても十分の仲じゃないですか」 「……お互い様ですものね」  まるで昭和の主婦の井戸端会議の風景のように、お互いの顔を見口元でだけ笑う。そんな2人を見ているうちに、だいぶ小枝子の感情も落ち着いてきた。  なので、携帯を軽く開き千鶴にメールを一通入れた。  ほのかと買い出しにっている、と。ほのかも小枝子も連絡が取れないとなれば、千鶴は混乱するに違いない。 (……その割には顔出さなかったけどさ、1年生のところに)  休み時間に携帯が鳴ることもなかった。  小枝子はもらったミネラルウォーターに口づけ、一気に飲んだ。 「では、失礼することにします。小枝子さん、行きますよ」 「あ、はい。あの……ありがとうございました」 「お互い様ですもの」 「??」 (え、ほのかさんは知り合いみたいだからわかるけど、あたしもなの?)  何に刺しての言葉かは分からないけれど、疑問を口に出す余裕もないままほのかにせかされその場から退場していった。これ以上遅れると、騒ぎになると愚痴愚痴ほのかは言った。  減りだと音で目立つから、とタクシーを拾って乗り込んだ。  社内でのほのか常に不機嫌そうに押し黙っていた。一見表情は変わらないものの、いつもより深く座り込んでため息を何度も履いていれば、それぐらい小枝子でもわかった。  学校手前のコンビニで、2人はタクシーを降りた。無言のまま校庭を歩き、後者に差も前から居ましたというように入りこんだ。  ほのかは途中小枝子の肩を支え、まるで具合が悪かったとアピールするように付き添うように横に立っていた。  それを見て、一瞬周囲は視線をやったもののすぐにそれを元あった場所へとやった。学校生活で体調を崩す生徒なんて、そんなに珍しものではない。特に小画工ぐらいでは、感情を高ぶらせるだけで戻してしまったり、我慢が出来なくて漏らしてしまったり、熱があっても気が付かず登校してくるなんてこともさほど珍しくない。体育館の集まりで貧血で倒れる、なんてのも同じようなものだ。 「みんな、心配掛けてごめんー……ちょっと寝不足で。転入で緊張して眠れなくて」  だから、小枝子ももっともらしいわけを述べた。 「びっくりしたー……よかったあ」 「心配したよー、いきなり消えるんだもん」  みんなは素直にそれを鵜呑みにしてくれた。その純粋さがちょっとつらいけれど、今回ばかりは詮索されたくなかった。  もう午後の授業は一つ終わっていて、その次の授業の前の休みだったから、あわてて小枝子はノートを写させてもらった。  ノートをまる写ししただけで理解できるほど頭がいいわけじゃないので、後でほのかに教えてもらおうと小枝子は思った。  カチコチとなる時計張りの音が、小枝子の神経を緊張させていった。時間内に描かねばという焦りから、数回シャ−芯を追った。  急がなければ。  常に小枝子はどこかせかされてるような気がしていた。  急がなければ逃げていく。 「できた! 美緒ちゃんありがとう」 「どーいたしまして」  クラスメイトとも、下の名前でたまには呼びあっているのに。そこに小枝子はいるのに……今のステップは描け足で進まなきゃいけないような気分がするのだ。まるでその先に何かが待ち望んで、まっているように……。 「さーえこっ」  千鶴は上機嫌に小枝子に抱きつきたがった。  けれどもみんな授業をすべて終えて暇を持て余していたので、当然視線を浴びることになり、無理やり彼を引きはがした。まるで子猫が飼い主にじゃれるように飛びついてくるけれど、彼は自分の立場を理解しているのだろうか。  しているのだろう。  だからこそ、見せつけようとする。  誰に?  周囲に。  小枝子はただの手駒。無理やり自分の居るべきところではない場所に頬り込まれ、賞金を取って帰ってくる奴割の人間。  頭の中のもじゃもじゃが整理され、違和感をその考えで押し込めた。  それが、彼の役に立つのなら……この淡い好意も抑えてその役に徹しよう。それがお互いのためであるのだから。 「はいはい、千鶴。顔色悪いよ?」 「え、本当か? そんなこと絶対ないはずなんだが……」  あわあわしながら、千鶴が涙目になる。 「嘘だよ?」 「……小枝子の馬鹿あ……」  まるで女の子のように、小さい声で千鶴は言うと、ため息をついてから小枝子の手に己の指をからめた。 「帰ろう」 「うん、みんなありがとうー」  お騒がせしました、といいたいところだけどそれをぐっと小枝子は飲み込んだ。言ってしまえば昼の騒動が千鶴にばれてしまうから。  千鶴はぐいっと今も知らない。ニコニコしながら、一緒に手をひらひらやっている。千鶴は態度に出るタイプに思えるから、知っていれば心配そうなそぶりを見せるだろうし。それを隠せるほどのスキルはないように見えた。 「今日は機嫌がいいのね」 「そうか? 多分それは小枝子と二人きりで帰れるからだろうな」 「ほのかさんは?」 「なんか、いろいろあるらしくて先に帰ってろって。錆びるとか、切れ味とか言ってたからどうせ包丁の手入れだろう。姉さんは物を大切にしながら、新しいものを手に入れる人だから」 「色々置いてあったもんねー、洋館に。回が間であって、しかもほのかさんだし、モデル」 「あれは自分で描いたらしい」 「どうやって?」 「イメージしたらしい、そこに居る姿を」 「へえ、器用なのねー……」  まあ、何事もことなく済ますことができそうな印象を持ってはいるけれど……結構大きなキャンパスだったし、色々な画材をつかっていたから、彼女の技術は相当なものだろう。  小枝子は絵が下手だ。それも半端がないぐらいに。自分の中から、固体されていないものを生み出すのは、難しい。答えが用意されていないから、当たり障りないものすら、習慣で変わってしまうから……それは音楽なども同じで……反射神経をつけるだとか、そんな方法ではどうにもならないのだ。  技術をどんなに身につけても、発想する力がなければ何かを作り出すことはできない。で居るのは、工場の機械のような作業だけ。  それでは、小枝子である必要がない。  母は絵が得意だった。時々公園で小枝子と毛糸を遊ばせながら、スケッチを楽しんでいた。薄い紙ではあったけれど、そのスケッチの量は膨大なものになってたまっていった。彼女は達成感があるし、頭の中のモヤモヤを吐き出せて、すっきりすると言っていた。  今は、それを返し見る気にはなれなくて、小枝子はずっと手をつけずに段ボールに押しやったままにしていた。 「千鶴もかわいいの描くじゃない、あのうさぎ」 「ほめてくれるのか? ありがとう、動物さんは好きなんだ。すごくかわいい」 (……動物にさんつけてる男子って幼稚園以来会ったことなかったけど……何で居わかんないんだろう、この人)  ちっちゃいお花を背景に飛ばしながら、千鶴はあけっぱなしだったヘリに乗り込んだ。後ろに二人並んで座って、小枝子はアイスティーを、千鶴は甘そうなオレンジジュースを飲んだ。 ヘリは行き先を告げずとも洋館に着いた。 あっというまだった。 そこには、ほのかが待っていた。手には何も持っていない。 隣は、小枝子にとって見知った顔が立っていたけれど。 「……話をつけにきた」 「佐久弥兄さん……??」  千鶴が警戒するように小枝子の手を握った。涙目になったまま彼を睨みつける。そして小枝子を抱きかけるようにして、彼から守るなポーズをとった。 「お前は、ここにいちゃいけないんだよ、わかってるだろう?」 「……わかりたくないけど」 「お前に見合った場所は俺の隣だ。それで十分なんだよ」 「…………知ってる」  それでも、それを拒絶したい心がある。  そのことを告げる勇気が、まだ出ない。  ちらりと千鶴に目配せして、すぐそらした。駄目だ、頼ってはいけない。ここは自分で結論を出さなければまた堂々巡りになってしまう。 「それでも、あたしはあなたとは暮らしたくない」 「……ふうん、生意気な口をきくようになったもんじゃねーかよ」 「うん、己の身の丈に釣り合ってないのはわかってる。ずうずうしいのも承知の上。でも、もうあんな時間の浪費の仕方はしたくないの。勉強だってしたい、頭が空っぽじゃ、あの子を守ることもきっとできない」 「今の世界が楽ちんだからじゃないのか? ニコニコの女顔の相手してればいいもんな、猫を被って」 「おまっ」 「千鶴、ごめん黙って」 「でも、小枝子……」 「あたしはあたしの意思で動くの!! 今回ばかりは決めたの! 自分の身を削るって意味では同じでも、居場所は自分で選びたいの。その権利をもらえる間は……選んで居たい。まあ、ここまでぶっちゃけておいて、兄さんがもといた場所に今の場所を失ってで戻っても平気で受け入れてくれるとは思えないけれど……」 「受け入れねえなあ。裏切り者だからな、お前は」 「それでいい、あたしも貴方を好きじゃないから」 「大口叩いて大丈夫か? さっきから」 「大丈夫。もしここでどちらからも突き放されてもあたしは責任を持ってどうにかする」 「そんな力、ガキのお前にはないくせに」 「なかったら作る。住み込みでも何でもいい。そもそも今は毛糸の命をつないだままでいいのかも迷ってる……けど、一度切ってしまえばもう戻らない可能性だから、伸ばしておく。史を望んだら、自分が毛ばれようが殺してあげるつもりでいる。たとえ違法で、だれが止めても。だから先に宣言しておく」  その言葉に迷いはあったけれど、後悔はなかった。  汚い部分を千鶴にも見せるのに、抵抗はあったけれど、もんもんとしているより深くかかわる前に知らせておいて、早いうちに小枝子がいやなら縁をきってもらいたかった。利用することにたいして、小枝子の中に抵抗が生まれていた。  情を、抱いてしまった。 「私は、その意見に賛同しますね」  ほのかが落ち着いた口調で言った。間に入ったのが千鶴ではなくほのかだったせいか、佐久弥は眉毛を少し上のほうにピクリとやった。  保護者が小枝子側につけば、佐久弥にとって不利な状況になる。 「こんな茶番はやめましょう?」 「茶番じゃねえよ」 「証人もいますし」 「何の話だ」 「なにもかも、私は知ってて小枝子さんに合わせたのです。あの子を後ろにおいてね」  ほのかの言葉に佐久弥は千鶴を見た。ほのかは首を横に振った。  そして数秒静かな時間が流れた後、草をかき分けるよう仲沙里という音がした。 「中村……?」  目の前に居たのは、クラスメイトの中村純だった。視線を横にあがして、居心地悪そうにおどおどとしている。その様子は、クラスの中での様子からは想像できなかった。 「純……」  佐久弥の口ぶりでは、2人は顔見知りのように思えた。 (……え、どういうこと??) 「佐久弥様……いえ、佐久弥さん」 「どうしてここに居る」 「呼ばれたから」 「誰に」 「彼女に」  純はほのかをすっと指差した。  佐久弥はあきらめたように溜息をついた。怒鳴る気配もなしに、また沈黙がその場を支配していった、  小枝子は口の中に、唾液がたまって、それを飲み込む音さえ目立ちそうで、息苦しくなった。千鶴はその場の雰囲気を呼んだのか、おとなしくしている。身動き一つしない。 「あっさり、小枝子の連絡先を教えてくれたと思ったら……お前が主犯だったのか。この三十路」 「三十路ではありません、ほのかです。しかも年齢はもっと上です」 「ちがう、僕が望んで……それで……だって、あのあいつが……安藤が佐久弥様の許嫁になるって、そう……ずっと聞いて我慢してきたのに」 (……ええと、話が見えないんだけども) 「……それが本気じゃなくて、芝居だったと? ……それじゃああきらめきれない」 「男同志で愛を誓ったところ何が生まれる? 周りの白い眼だけだ。俺は長男だから、家を継ぐ。遊び歩いてる余裕はないんだ。身内同士で結婚すれば、余計な遺産も逃げやしない」 「幻滅しました」 「じゅっ……純!!」  佐久弥があたふたする様子を見たのは、初めてだった。  中村はつかつかとその場を去ろうと足を進める。佐久弥は動けないまま、小枝子とほのかを交互に見た。彼の眼には迷いが見えた。 「迷うぐらいなら追いかければいいだろう?」  口を開いたのは、千鶴だった。 「つかめてから迷え。手の届かない場所に行く前に、止めろ。そしてとどめれる自分を目指せ」  千鶴は少し悲しげに言った。まるで自分も言い聞かせるように小枝子には聞こえた。その自分が小枝子にも、千鶴にもかかっていて、少し切なくなった。  佐久弥は走った。返事もせずに、その場から駈け出した。  そして中村の体を抱き、引き寄せた。 「純っ!!」  荒い息は、小枝子たちの元まではっきりと聞こえた。 「悪かった……」 「何がですか? 僕に嘘をついていたからですか? 安藤のほかに何人女がいるのですか。僕は何人目ですか。ゴムのいらない合理のいい性欲処理器でしたか?」 「純!!」 「僕は本当に好きでした。あなただけが好きでした。いいえ、今も好きです、。事実を知っても割り切れなくて困っています。相手が女だからと、引いていたのにそれが嘘ならば僕は何なのですか。本命がいるのですよね? そうですよね、そうだと言ってください。言って下さらないと僕は心のどす黒いものが消えてくれません」 「俺が好きなのは純だよ」 「また嘘を吐くのですね」 「……純が本命だから小枝子を隠れ蓑に使ったんだよ……」  意外なことに、小枝子以外はだれも戸惑う様子を見せなかった。こういうものに嫌悪感を持ってそうな千鶴でさえ、無表情のまま二人を眺めている。  正直小枝子は動揺していた。そりゃそうだ。バイなのは知っていたけれど、本命が男だとは。遺産相続の件は予想ができていたけれど……。  ざわざわと木々が騒ぐ。純は泣きそうな顔をして佐久弥を見た。 「その場しのぎの嘘なんじゃないんですか?」 「嘘じゃない」 「じゃあ、小枝子さんを解放してください。執着する必要などありませんよね?」 「ほのかさん……」  ほのかは、そういう話に持って行きたくて彼らを呼んだのだろう。いかにも彼女が考えそうなことだ。その証拠に口元が少し笑っている。 「別に、佐久弥さんの代で血が途切れてもいいじゃないですか。養子をとるなりなんなりされれば。確かに、今まで費やしてもらったお金や時間はあれど、自我を押し殺して、しかも相手も望まない結婚をしてもいいことなどありませんよ、世間の目が痛いなら、性転換でもなされば?」 (……ほのかさん、それはそれでちょっと無理がある理論な気がする……)  純の年齢で規制手術を澄ませば、まあそれなりの美形のニューハーフになれそうな気がするけれど……そんな簡単に事は進まないだろう。世間以上に、あの叔母たちがそう簡単にエリートレールから昨夜を降ろすことを承諾するようには思えなかった。  それでも、丸めこみでもいい。お互い求めあってる相手同士でくっついて、なおかつ小枝子から離れてくれるなら十分だ。 「あたし、中村君なら世間騙せると思うな1」 「そうだな、きっと似合う」  空気を呼んだらしい千鶴も参加する。 「海外へ行けば同性でも結婚はできますし……純って名前も両性的すから……きっとうまくいくでしょう」 「僕努力します、周りに認められるようなんでもしますし……今まで以上に勉強に励んで……だから、そばに置いてください」  中村の表情は、本気そのものだった。 「別にそばに居るだけでもいいのです。ビアンの方と同居されて僕を召使いなりなんなりとして雇ってくだされば、世間の目もごまかせましょう、表向きだけの口づけならもう何度もこらえてまいりましたから。心は痛んでも平気です」  まるで昔話のけなげな妻のような言葉だと、小枝子は思った。それと同時に彼の昨夜への忠誠と会いも、しっかりと感じた。 「兄さん」 「何だ?」 「もうあたしがあなたと結婚することはないので、どっちにしろあきらめてください。そして中村君。あたしは兄さんと結婚したくないので無理やりにでも落としてください。あたしはそれに協力します、以上」 「それは私もですね」 「俺だって、小枝子を渡したくはない」  三人の言葉に、佐久弥はたじろぐような表情を浮かべた。数秒そうした後、もじもじする中村を見て、いとしげな視線を送った。  佐久弥は中村が好きだ。ただそれを、世間体を気にして隠そうとして、ややこしい感情に襲われているだけだ。  だから、後押すように小枝子は言う。 「妻に浮気されて……なんてシナリオよりは愛したった二人が障害を乗り越えるほうがよっぽど幸せだと思うんですけど、あたしは」 「…………」 「結婚がたとえ堂々とあげれなくても、求めあう人と寄り添って一緒に生きるほうが絶対いいでしょうね、中村君ならきっと尽くしてくれるだろうし頭もいい。収入だってあたしよりは絶対稼ぐだろうし、ねえ?」 「僕は、絶対佐久弥さんの負担になるような人間にはなりません、努力します」 「ほら」  あとは佐久弥の返事を待つだけだ。答えは、彼の中でずっと決まっているに違いない。ただ、それを口にすることを自分で許せないだけ。  スイッチを押してさえやれば、彼はおのずと自白するだろう。 「あたしは、本気で戻る気はないの。ねえ? 千鶴」  強引に千鶴を抱き寄せる。挑発するように視線を佐久弥にやる。 「俺も、小枝子を渡す気はない、そしてきっとあなたの収入では彼女は満足しないだろう。何せ浪費癖があるから」 (……千鶴が計算してでっちあげた……)  一瞬ぎょっとしたけれど、それに小枝子は口裏を合わせることにした。 「だからいろんな男と遊びまくるって方法で金を得てはブランド品買って売って買って売ってやってたの。そりゃ、毛糸も大事だったけれど、自分の欲求を満たすためにも、効率的で手っ取り早い手段だったし……今はお金持ちの千鶴のおかげで収まってるけれど、まだ就職もしてない兄さんの 「毎日百万単位でお金が消えるだろうな」 「しかも飽きっぽいからしょっちゅう買い換えるだろうしね」 「そんな重荷よりは男同士のほうが一般人には軽いんじゃないのか? 俺はいっぱいお金があるから、説く肉でもないし何より小枝子が好きだからいいけれど」 (無茶苦茶な設定過ぎるんだけど……信じるの? コレ。手か信じられたらショックなんだけど……) 「そうか、わかった。純、お前に決めた」 (信じたあああああ!! bしかもポケモンを選ぶように……)  小枝子、地味にショック。 「佐久弥さん……っ」  中村は泣きだすし、千鶴はニコニコしているし、ほのかにいたっては達成感丸出しの腕組みで彼らを見ていた。  ことは一応おさまった。けれど小枝子は納得がいかなかった。 (……あっさりそんな浪費癖ありだと納得されたのが不満……)  まあ、佐久弥に悪い印象与えて引き離すという方法は、千鶴の割には上等な作戦だとは思うけれど。大好きだから渡さない、とかそんなことでは多分俺のほうが知っていると佐久弥が言いだして放しが一向にまとまらないだろう。だから、小枝子は文句を飲み込まなくてはいけない。むしろ感謝しなければいけない、のだけれど。 (すんなり受け入れられすぎてなんかもう……)  いちゃいちゃしだしたバカップルを睨みつけていたら、何を誤解したのか千鶴が抱きついてきた。そういう意味でイラついているわけじゃない。  別に千鶴にじゃれられる分には見せつける効果もあるので振り払うこともせずに小枝子はあやすように彼の髪の毛をなでた。千鶴から小さいお花が飛んだ。  今はまだ、お互いになんも知らない。  だから佐久弥を突き放すための嘘も、どこまで事実の感情で述べているか、そもそも嘘かさえ見抜けない。  それでも、やはり千鶴たちと居たい。まだ、なれなくて今日みたいにとどどうこともある。それは彼らにとって負担であり不愉快かもしれないけれど、そう考えることはできるのに、佐久弥の元に戻ることはできなかった。したくなかった。  そこで耳なれた音楽が流れた。  何度も聞いた、あの歌だった。 (お母さんの……曲……)  音の先はほのかのワンピースのポケットだった。それを、そっと取り出し彼女は応対した。バカップルでさえ、何事かといちゃつきを止め、千鶴も小枝子から距離をとった。  ほのかの表情がいつもよりさらに冷たいものに変わる。  一瞬、ほのか乳房が消えた気がした。  まさか。  小枝子はもう一度彼女の胸元を見て、乳房があることを確かめた。  当然、そこには元のサイズの巨乳があった。  ほのかと目が合う。ほのかが軽く笑い、小枝子はひきつった笑いでごまかした。 「……やはり正解だったようです」  ぼそりとつぶやいた後、ほのかは携帯に向かって何やら早口にまくしたてた。そして、しばらくして落ち着いた口調に戻り、ちらりと小枝子を見た。 「小枝子さん、重要なお知らせがあります。心して聞いてください」 「……何でしょう」 「啓人さんが、目を覚ました」  その言葉は、ずっと待ちのんでいたいたものだった。  だからこそ、小枝子はすぐにはそれが事実だということを受け入れられないまま、押し黙った。 「事実ですよ? まあすぐには歩けるようになれませんけれど……子とbを交わすことはできます」 「……啓人が、起きた……」 「ええ、からだの調子に健康そのものです。一時的なショックからの意識不明でしたから、体自体はもともと異常はなかったので、リハビリだけで十分病院を離れて過ごすまで回復するでしょう」  夢みたいだと思った。本当に夢じゃないだろうか。  小枝子は千鶴を見た。彼は首を横に傾け、不思議そうに彼女を見た。なぜ疑うのかわからないというような眼だ。そもそも彼は、小枝子と毛糸のついての深い情報は知らない。あの事件ももちろん知らない。  だから、目を覚ましたと聞いたところで、ああそうかとしか思わないのだろう。何があったか、生命しようか迷うけれど、きっとそれをほのかが許さないだろう。彼女は情報をガードしている。一定以上は千鶴に見せない。 「後日……会いに行きましょう?」 「それは、もちろん」  まただ。  ほのかの乳房が一瞬消えた。 (……めまい? なにこれ……あたしどうかしちゃったの??) 「俺は?」 「千鶴さんは……まあ、そうですね。おとなしくしていられますか? 行き先は遊び場じゃないのですよ、病院なんです。あなたが嫌いな、病院」 「……でも、そこに小枝子の弟がいるんだろう?」 「ええ」 「それなら、俺も会いたい。何もできなくても、会いたい……」 「……いいでしょう。ただし私も同伴します。もっとも、小枝子さんの保護者は今は私なんですけれどね。佐久弥さん、お母様にご報告お願いします。入院費も、その後の世話も私が行いしますので、起きになさらずにと。何か引っかかるなら、わいろでも何でもお払いします。そうすることが私には必要なんです」  ほのかの言う意味がわからない。言葉の端々が靄にかかったようにぼかされている。佐久弥は一瞬顔をしかめて、すぐに承諾した。彼にはもう、小枝子に執着する必要はないと言わんばかりに彼は中村の肩を抱いた。 「これでいいのですよ」  ほのかは、そう呟いて洋館へと戻って行った。  ほどなくしてタクシーが現れて佐久弥と中村を載せていった。それを見届けてから、千鶴と小枝子も洋館へ戻った。  普通の一日の終わりに、それは訪れた。  学校にもだいぶ慣れた。1週間も通えば、おのぞとグループ構成も教室の道も覚えていく。小枝子は特に誰と組むわけでなく、それでいて浮くわけでもなく過ごした。あえて言うなら田村たちと一緒の時間が多めだろうか。  珍しく、千鶴とほのかが教室まで出向いてきた。  当然その場はざわついたし、いつものように千鶴は手をひらひらさせ合いをを振りまいていた。まるで天皇陛下のご訪問時のような扱いだた。彼らんの周囲には道ができ、そこをゆっくり歩いて小枝子を迎えた。 「そろそろ、彼も落ち着いたみたいです。参りましょう」 「……わかりました」  これはあえての周囲への見せつけ立ったのかもしれない、とほのかの後を追いながら思った。千鶴と小枝子の関係性を、はっきりと周囲に認識させる目的で、わざわざ彼女は来たのかもしれない。ほのかがいると、それだけでその場は彼女の威圧感に飲まれる。そして、だれもが口を紡ぐ。佐久弥みたいなタイプは別だけれども、ある種彼女の庭園であるこの学園では、目の前でおどけて見せることはできないのだろう。  それが千鶴単品ならば、じゃれあうようにわいわいやるかもしれないけれども。  小枝子はクラスメイトに目線で別れを告げ、教室を後にした。  自然とからめられた千鶴の手を握り、少し震えをこらえて歩を運んだ。  ヘリに乗り込んだ途端、涙が溢れそうになった。  啓人とあったら何を放そう。恨まれてはいないだろうか。また、お姉ちゃんと呼んで遊んでくれるだろうか。無邪気なあの笑顔を向けてくれるだろうか。  頭の中がぐちゃぐちゃする。ほのかは今回は飲み物を運んでこなかった。ただ千鶴が震える肩を支えるように隣に座っていてくれた。  また啓人と声をマジ輪すことができることだけでも、幸せなことなのに……心臓がドックンドックンなりやまない。 (やだ、怖い……) 「……今まで、小枝子のおかげで命をつないでたんだ。不安がることはない。……よくわかんないけど、姉さんがそう言ってた」  千鶴なりのたどたどしい励まし。 「……でも、目を覚ましたら全く知らない事態に飛んでて、体も育ってたら……絶対戸惑うし、怖いよ、あたしだったらね」 「人生の早送りのようなもの……なのか」 「たとえるならそんな感じ。間すっ飛ばして。いきなり育つってやっぱ怖いよ」 「俺は、飛ばしたかったな……言意味は、ほんの少ししかなかったから」 「……あたしも、そこまで楽しい人生送ってきたわけじゃないけど……やっぱり、時間をはっきり過ごしは下から、今この年齢であることへの違和感はない。今の年月も、その数だけ起きて寝て……刻んできたから……でもあの子は、もう何年もかけてる。必死になっても、周りに追いつけるかわからない」  人間関係なんて特に。 「それでも、お前はまっていてくれたんだろう?」  微笑を浮かべて千鶴は言ったけれど、小枝子はひきつった笑いを返すことしかできなかった。  針が止まるのが怖い。ずっとふわふわふらふら、空を漂って居たい。何もない時間にとどまって居たい。そうできれば、どんなにいいだろう。 「……そう、啓人にも思っててくれればいいなあ……」  苦笑いを浮かべて、小枝子は言った。  病院へ近づけば近づくほど、小枝子の気は滅入って行った。  千鶴が気遣いながら、小枝子の手を引いて行く。いつものようにふるまえなくて、その場からまた逃げだしそうになった。 「小枝子、飲み物いるか? 自販機がそこに……」 「……ありがとう。じゃあ、お茶」 「烏龍茶でいいか? 冷たいの」 「何でもいい。のどが潤えばそれで」  小枝子の声に、千鶴はポケットから赤い川のコインケースを開けて自販機からお茶を落とした。自分の分はいらないのか、それを小枝子に渡すとまたゆっくり歩き始めた。  ほのかが常に先陣を切って歩いた。院内の手続きも全部彼女がやった。  小枝子たちはそのあとをただ続いて行くだけだった。掌が、いつも以上に汗ばんで、小枝子はいつになく千鶴に寄り添っていた。 「このお部屋ですね」  はい、といいたくない。開けたくない。  けれど、病室の前には当然のように「安藤啓人」とプレートが付いている。言い逃れはできない。 「失礼します」 「…………」  目の前には当然、啓人がいた。対のこの前見たままの姿形で、彼はぼんやりとしたまま小枝子を見た。 「啓人……」  唇から言葉が漏れた。涙も続けて零れ落ちていった。唇が震えて、それ以上は何も言えなかった。 「よかったあ……」  啓人は笑う。 「……っ……く……」  あふれ出続ける涙を手の甲で拭い、彼の変わらない笑顔を確認した。  頑張って、哂いかえそうとした。  けれども、できなかった。だって、彼の言葉を聞いてしまって、思考回路が停止しそうになったから。 「御帰り、お母さん! zっとまってたよ!」  彼は満面の笑みで、無邪気に言った。

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