俺と君との最後の願い
「心中しよう、京ちゃん」
ドア越しに淡々と聞こえたその言葉に俺は体をこわばらせた。
「何てった?」
正気だろうか、こいつは。
「心中しよう、京ちゃん」
その声は耳慣れた幼馴染の昌彦のもので……一瞬聞き間違えたかと思ったほどさっぱりとした物言いだった。
俺があの宣告を受けてからしばらくたった。それをきっとコイツは耳にしたのだろう。
昔から俺になついて、他に友人も作ろうとしない内向的な奴だったから思いつめてしまったのだろう。
「……馬鹿言うなよ。なんでお前が死ぬんだ。それに、俺がいつ死ぬって言った?」
「……あの名医がさじ投げたって、おばさん嘆いてた。もう、治らないって……」
「それはお前の聞き間違い。俺はピンピンしてるぜ」
「じゃあ、どうしてドアを開けてくれないの?」
「それは……最近忙しいんだよ。レポートためて。終わったら相手してやるから」
知られてはいけない、と思った。
だから、俺は無意識に声を出して笑った。アイツに聞こえるように。
「学校行ってないのにレポートが出るんだ」
「……それ、は」
痛いところをつかれ言葉を飲む。
俺だって、できることなら普通に学校に通いたい。外に出歩いて、にぎやかに騒ぎたい。
けれどもそれを世界は許さない。
抵抗すら、許さない。
軽く栗色だったはずの髪も、もう黒い地毛が鏡を映さずとも視線に入ってくる。
それが時に自分が置いてけぼりにされている事実を浮き彫りにしていた。
髭やムダ毛を剃るためのカミソリももう切れ味は使い古され悪い。
思わず舌打ちをしてそこにあったクッションを思い切り投げた。
投げるものが柔らかいクッションなところが、何ともみじめだ。
「僕の世界から京ちゃんが消えたらそれは何を意味すると思ってるの?」
「お前の人生が待ってるんだろ」
「……ずるい、よ。京ちゃんはずるい。僕なんて興味ないんだ。暗いしね、僕」
確かにこいつは明るくはない。
長めの黒髪は目が半分ほど隠れているぐらいだけれど、顔は愛らしい。
白い肌に黒目がちな瞳は、十分美形だと言える
そんな昌彦がこうも極端に俺に執着する理由がよくわからない。
俺の病気は、体が少しずつ腐っていくものらしい。
そして、人から人へと伝染する奇病だそうだ。
それでも、母はお決まりの言葉とともにご飯をそっと置いていく。
「今日のご飯置いて行くわね」
そう言って母さんは俺の好きな食事をいつもこしらえていく。
手の込んだ、温かい料理はいつも俺の涙を誘った。
どんどん味が落ちてくのは、きっと彼女の心の不安定さの表れだろう。
そう思うと、申し訳ない気持ちが胸にあふれた。
「お前はそろそろ俺離れすべきだろ。見た目だって悪くないはずなのに髪の毛は伸ばし放題で……俺と違って勉強も出来んだから」
「……京ちゃんが、髪の毛長い子が好きだって言ったから……だよ?」
「……お前は俺の彼女になる計画でも立ててんのか。男だろ。お前」
確かに俺の好みは清楚で品のある黒髪ロングの美少女だけども。
それをたしかに雑誌を見て昌彦につたえたけども。
「……駄目なの? 男じゃ、駄目なの?」
「駄目ってなぁ、お前……」
「ただ上が膨らんでて下に余計なものがぶら下がってて、ただそれだけで決まっちゃうの? そういうものなの?」
今にも泣き出しそうなその途切れ途切れなかすれ声は昌彦が冗談半分で告白しているのでないということを示していた。
「……どんな姿でも京ちゃんは京ちゃんだから……僕は、平気だから。せめて……一緒に」
「…………」
「……っ……気持ち、悪いよね。そうだよね。僕と京ちゃんはただの幼馴染、
それだけなのに……僕は何を期待してたのかな。馬鹿みたい……」
「昌彦……」
つなげる言葉が出ない。
本当は、薄々感じていた。昌彦の俺を見る目が友達としての“ソレ”ではないということを。
けれども俺には彼女がいたし……まぁ、どこかへ逃げてしまったけれど。
高校へ進学する時も同じ高校が良いと言って俺とアイツは両親を困らせていた
。
普段は何を頼まれても従うような自己主張のないやつだというのに。
「俺のせいで、お前の人生が駄目になるのかよ。お前はそれでいいのか?」
そう言って突き放した覚えがある。
けれどもコイツは両親がうんと言うまで食事を取らないという手段で同じ高校に首席入学と言うことをどうどうとやりのけた。
本当、やればできるやつだというのに。
「お前は、まだまだ先があるのに俺にひっついてて楽しいか? みせつけかよ」
「違っ……!」
「いくらでもこれからの道を選べるくせに、
俺にしがみついて、新しく知り合いも作ろうとしない……。馬鹿にしてるのかよ」
「京……ちゃ……」
後から思えばその時、俺はイラつきのあまり八つ当たりしてしまったんだ。
事実をこの時知っていれば、こんな言葉を吐くこともなかっただろうに。
本当に、取り返しのつかないことをしてしまった。
けれど、怒ることもせずに昌彦らしいのんびりとしたペースで語り続ける。
「ごめんね……でも、僕は京ちゃんが好きで……少しでも長く笑っててほしかったんだ」
「……そーかよ」
「でも、気持ちを押し付けちゃ本末転倒だよね。僕、もうここに来ないから、安心して」
「…………」
ガタンという音の後、しばらくたって何も聞こえなくなった。
もう、来ないつもりだろうか。自分から誘導した答えだというのに、なんだか虚しさに駆られた。
けれども、どこか安心している自分もいた。もう、あいつを縛り付けることもない。
きっと、あいつは今よりは幸せになるだろう。
こんな奴にかまっていたところで何も得るものはないのだから。
居なくなるやつとかかわってるより、新しいかかわりを作って前進するほうがどう考えたってよいことだ。
だから、俺は……悪くなんか、ない。
* * *
「京、今日は晴れね。朝ごはんはスクランブルエッグと、ベーコンレタスサンドです」
「ありがとう、母さん」
母の声。毎日聞きなれた、その声に、いつも時間をおいてから俺はそれを受け取る。
病気がうつってしまっては申し訳ないからだ。
第一、腐臭が少しずつ増していき顔の造形すら崩れかけている。
そんな自分の姿を誰かに見られるのが嫌だった。
たとえ元々見た目がぱっとしなくたって身ぎれいにはしていた。
だから、どんなに洗ってもカビさえ落ちない、寧ろしみて痛むこの身を疎ましく思った。
暇をつぶすためのインターネットすらときには毒になる。笑顔で映る普通の人間の写真が癇に障る。
味覚さえ、腐敗した舌ではろくにわからない。
あれほど好きだった母の手作りの料理でさえ時に口内を刺激する。
どれもこれも、相手は何も悪くない。そして俺も、誰も、悪くはないのに。
インターネットに飽きて本棚にあった小説に手を出した。
映像がない、それだけでも多少の救いになった。
鏡は黒いマジックで塗りたくり、その上からガムテープを張り付けた。
香水を必要以上に部屋に撒き散らし、その上で消臭剤も振りまいた。
みじめな気持ちになりながら、窓のほうへと目をやった。
ザアザアと雨音が聞こえる。
(梅雨……か)
気にも留めずに本のページに指をかける、そこでいつもどおりに母親の声がした。
「今日もいい天気ね、今日は京の好きな春雨スープよ、それとサラダ」
「……え?」
俺は耳を疑った。この天気が、いい天気?
そんなはずはない。
日向ぼっこが好きで、しょっちゅう外に出ていた母が雨の日を、「良い天気」なんて称するわけがないのだ。
「母さん?」
返事はないどころか、何かガチャン! と大きな音がした。
反射的に、俺は扉を開けていた。
「……昌彦」
そこに居たのは、涙をすすりぐちゃぐちゃな顔でぶちまけてしまったスープを小さなハンカチでぬぐう昌彦。
そして、そこの手にはラジカセが握られていた。
「何だよ、コレ」
思わず電源を入れてみる。
「駄目、コレは……」
昌彦の声も虚しく、再生された声は俺に、残酷な現実を突き付けた。
「今日もいい天気ね、今日は京の好きな春雨スープよ、それとサラダ」
「さっきの声……」
「あ、あのね、今日は京ちゃんのお母さん熱出しちゃって……心配掛けないようにって昨日録音してもらったんだ。
ほら、天気予報では晴れだったでしょう? ……だから、だから……」
明らかに無理のあるいいわけ。泣きそうな顔をして、明彦は口元を無理に釣り上げる。
「もう、良いほら、迎え着てるぞ」
昌彦の背後に見える人物に俺は思わず苦笑した。
「昌彦……此処に居たのね! いい加減にしなさい!
貴方受験生なのよ!? しかも何? 今だ京ちゃん京ちゃん言ってるの?
もう、彼は人間じゃないのよ、化け物よ、私達の命を奪うのよ? 死にたいの!?」
「お母さん……」
わかってはいた。世間での俺のような患者への解釈は。
思わず俺は声を押し殺して笑っていた。
泣くな、尚にみじめだ。
あいつには、戻って来いと迎えに来る相手がいる。
もっともな常識を述べている。
「さっさと消えな! 化け物」
間接的にでも自分の命を奪い取るのだから、そう解釈されても仕方がない……。
(……笑え、笑え笑え)
そう思ってはいるのに、涙が止まらなかった。
ソレが伝うほどに顔にしみてきしむ音がする。
なんでこんな病魔に蝕まれ、選ばれたのか。
「さあ、帰りましょう? もう、両親でさえ見はなした子なんてかまっててどうするの? 何か得するの?
もし、貴方が巻き込まれたら……白い目で見られたらお母さんはどうすればいいの、昌彦」
「……僕は、京ちゃんと居たい」
「……!? わがまま言わないの! ほら、行くわよ! 小汚い、ほら蛆までたかってる……まるでゾンビじゃないの」
小さなころは、あんなにやさしく語りかけてきた晶彦の母は、もう俺を人間だと見ていないようだった。
視界に入れるのも嫌なのか、すぐに顔をそらし、舌を鳴らす。
「京ちゃんは京ちゃんだ!!」
「!」
「あきっ……」
長い付き合いで初めて聞いた昌彦の荒っぽい声。
いつも小さな、迷いのある言い方でもなくどちらかというと耳に響くような、血を吐くような叫び。
「……昌彦……昌彦は、良い子よ。素直で賢くて自慢の」
「そして、良い手駒で、回りへ見せびらかすための息子?」
「……アキ! なんて口を利くの、私は母よ!」
「……今まで育ててくれたのはありがたいと思うけど結局は、人間は人間。
一人の固有した存在だよ? 心につながりがあろうが無かろうが、血につながりがあろうが無かろうが」
「え?」
冷めた、情けないものを見るような憐れみに満ちた目で昌彦は自分の母親を見つめていた。
情けないことに、俺は何も言えずにその光景を距離を置いたまま眺めていた。
割れた皿の破片で昌彦の手が血にまみれていることをその時知った。
「僕は、京ちゃんが好きだ。だから、生きれるように命を運ぶ。
けれど、京ちゃんも人間だから、嫌だと言ったらあきらめる。ただそれだけの理屈。押し付ける愛情は、愛情と言わない」
伝う赤のしずく。それに怯えるような顔をして少し食い下がる昌彦の母親。
昔から教育ママではあった。でも、性格が悪いと印象は受けなかった。
少し自慢屋だなぁとは思っていたけれども、嘘は言わない人だった。
だからこそ、先ほどからの発言は重く胸に突き刺さった。
そしてアイツは求められ、俺は捨てられているのだという真実を痛感した。
「……俺は、化け物じゃない……ただ偶然病魔に侵されただけの人間、だ」
震えるように絞り出して出た声は、なさけないほど小さいものだった。
そして、震える肩。ずっと、ほしかった言葉。
可哀そう、と言われても切なかったし、病気が発覚した時の困惑した暗い雰囲気も居心地が悪かった。
本当はずっと、誰かに一緒に、最後まで……。
けれどもそれは、人を巻き込んでしまうわけで。
だから、パソコンを使って友達のブログを見た事もある。
そこには、いつも通り楽しんでいる彼らしかいなくて。俺が病気になった時に、
最悪だとかつぶやくようなメモもあったけれど、大抵話題にすら触れず。
姉のブログでは、俺に関する記事がすべて消されていた。
そんなに、病気の身内を持つことが恥ずかしいのかと思うと今まで一緒に過ごした時間が無駄なように思えた。
結局は、過ごした時間よりもいかにお互いを解り合えるか、
良いところを見つけ、好きになれるか、なのかもしれない、けれど。
……気づくのが、遅すぎた。
「わかってる、よ」
思わず地面を睨みつける俺の目に、昌彦が居た。
「でも、京ちゃんにとって僕の求愛は不快みたいだから、僕は君が喜んでくれる事をする。
出来る範囲で……だから、お母さん。ごめん、僕は京ちゃんと居たい。
たとえ、それによって僕の命や時間が削られたとしても、後で後悔して泣いているより、良い。
僕はそれを無駄だとか損だとかは思わない。寧ろ有意義だ」
「昌彦……! 何て事……いくら友達だからって……家族を無下に扱うなんて最低じゃないの!」
「きめられた順位なんてない。たとえ最初は家族が一番だったとしても、人の気持ちも感情も揺れ動き、変化するもの、だよ」
「…………」
弱いやつだと思っていた明彦が、こんなにも自分の意見を言えるやつだとは……俺はずっと彼を色眼鏡で見ていたのかもしれない。
男なのに、俺を好きだという昌彦。
何か利益を求めてるわけでもなく、純粋な気持ちから事実を隠してまで俺に食事を運ぶ昌彦。
いつも一緒に居て、となりで小さな声で笑っていた昌彦。
その、どの昌彦も、昌彦に違いないというのに。
「……もういい、昌彦。お前まで白い目で見られる必要はない。行け」
「でも」
「行け!」
自分のせいで巻き込まれていく昌彦なんて想像したくなかった。
俺の隣に居るのなら、いつものように笑っていなきゃいけない。
無理にでも、つらさを見せず笑ってなきゃいけない。
たとえどんなつらい仕打ちを受け、俺を失ってもその汚名が付きまとっていくとしても。
どうせ、笑う必要なんてないといっても彼は笑うだろう。
「……じゃあ、お願い、してもいいかな」
「……なんだよ、なんでもするから行けよ」
「これから5分だけ、僕を好きになってください。恋人に、……なってください」
「…………」
簡単で、難しい、願い。形だけなら誰とだって出来る、そんな事。
「昌彦! 何を言ってるの! 貴方達はどちらも男の子じゃないの! どうしてそんな気持ち悪い……」
「……お母さんは黙ってて」
ピシャリと言い放つ昌彦は真剣な表情で俺を見つめていた。
「…………」
「……駄目、かな」
「……何すればいいんだよ、付き合うって」こんな体では、外に出歩くことすらできない。
体を重ね合うことなんて、もってのほかだ。
昌彦の細い手が口元に持っていかれる。
恥じらいを帯びた表情で小さな声で、何かつぶやいた。
「……聞こえなかったんだけど」
「……えっと」
「キス、して欲しい」
「うつるぞ」
「それでも良い、京ちゃんの体温を、感じたいから」
すり寄るように、俺の部屋のドアを開ける。後ろから彼の母親の悲鳴が聞こえた。
俺のもう皮膚の色も違う姿を見ても顔色を変えることもなく寧ろ愛しいものを見る目つきでほほ笑んだ。
口元は震えるように、上向きで、目は明らかにうるんでいた。
けれどもそれは、恐怖から来るものではないのはすぐにわかる。
「…………わかったよ」
俺は散々悩んで、大量に消毒液を部屋に巻き、昌彦を部屋に入れた。
傍から見れば、断るべきなのはわかっていた。
けれども、昌彦の黙っているからこその気迫に負けたというのもあるが、自分自身が昌彦を求めていた。
もうきっと、誰かのぬくもりを感じることができないとあきらめていた。
最後の抱擁は、何時だったか。
それも、昌彦が照れながらじゃれてきて、うざがったような気がする。
今ではそのことすら、遠い昔の事に感じた。
今思えば、ありきたりな人生だった。
この病気になってしまうまでは特に大きな挫折もなく、平和な境遇だった。
だからか、初めて聞いた時はどうせ嘘だろうと思っていたけれど、
だんだん実感がわいてくるにつれ不幸の女神にでも選ばれたのかとげんなりした。
治る治る治る。
どうせ、俺が生きているうちにこの奇病の解決ほ法は見つかる。
そう、言い聞かせて毎晩眠りについた。
夢に出る俺は当たり前のように普通の健康体をしていた。
起きるたびに、ぐったりとした疲労感に引きずられた。
「ありがとう……京ちゃん」
「5分だけ、な」
「……ん……わかってる。約束、だから……ね」
片思いを募らせ、やっと付き合い始めた女子のように無邪気な笑みを見せた。
(こいつって、こんな顔して笑うんだな)
最近人の笑顔なんて見てなかった。見たくなかった。
けれど、それが自分に向けられた嘘いつわりのないものだと思うとなぜだか安心する自分が居た。
「ほら、顔貸せよ、できないだろ」
「……ん」
突き出された顔の長い前髪をかきわける。
白い肌に伏せられたまぶたから延びる扇形に綺麗にそろった長いまつ毛。
見慣れていたものなのに、改めてみるとやっぱり綺麗だ。
華奢な体がさらに細みを帯びてしまったのは、きっと俺のせいだろう。
「馬鹿な奴……」
俺を見捨ててほかのやつのとこへ行ったほうがどう考えたってよかっただろうに。
俺の何がいいのか。
取り立てた何かもなければ、正直性格良いとも言えないと思う。
俺は、そっと昌彦を寄せると頬にそっと口付けた。
「……これで……満足、か?」
駄目だ、笑えない。
声がまともに出ない。
「どうして頬っぺたにするの」
叱るような、そんなは跳ね上がった言葉は今まで一番年相応にさえ思える。けれども、相手も立場も間違っている。
「口じゃ粘膜や唾液で感染するだろ? 頬なら、今すぐ拭き取れば肌に浸透することもない」
「でも」
「それに、恋人なんてどれだけ身体的に重なるかが大切なものじゃないだろ。第一、俺の口の中は」
「……優しいんだね、京ちゃんは。昔から変わらないね」
どこが優しいというのだ。
こんな人を心の中では見下した馬鹿野郎が。
自分の器の狭さは、この病気になってから痛いほど実感している。
そもそも自嘲に近いセリフだというのに。
いくらヤってもヤっても、その回数が愛の証ではないというのは、連絡すら一切よこさない彼女で実感していた。
盛りのついたこの年齢になれば、それは特にそうだ。
そうでもないと、セフレなんて言葉は出回らないし三大欲求にも上がらない。
その、自分の気持ちを吐きだしただけだ。
「本当、ガキのままだな、本当俺は……」
図体だけ成長して、ろくに何かを得ることもせずに朽ちていく。
「どうして? どうして京ちゃんはそんなに自分を悲観した目でみるの?」
「そりゃ、こんな環境で楽観的に笑ってられるかよ。お前だって一度もおもいっきり笑ってないじゃねーかよ」
「……そう、かもだけど。きっと、何時か笑えるから。
今、一緒に過ごした時間を……だから僕は選ぶんだ、この瞬間を」
「どこを笑うんだか。哂うんじゃなくてか?」
思わず俺は小さく笑っていた。こいつもまるで変わっていない。
詩集ばかり読んで、どこか夢見がちな、そして現実的な部分を併せ持つ、そんな子供だった。
「違うよ、たくさん一緒に居てもらってる。京ちゃんと居ることで、笑顔の種を」
「へぇ」
「別に今スグ笑えなくてもいい。いつか種が花を咲かせたら、その種をまた配ることができるし……それにそれに」
「もう良い」
あまりにも純粋すぎるその姿が言葉が、関わるごとに俺にこの世に未練を作っていく。
もう助かる可能性などないのに、泣いて暴れてすがりつきたい衝動に駆られる。
急に、怖くなった。この世から、俺と言うものが居なくなることが。
「……死にたく、ない」
今まで、祖母を失ったことはある。
その時は、ぼんやり俺の中の彼女の椅子が空いたような気がした。
歳をとれば、すぐにはっ時間はなくて。次第に俺の中の彼女のその椅子はどこかへ廃棄され過去の人として薄れていった。
それが、今度は俺の番。
よりにも寄って、回りにうとまれて、ある意味望まれて死んでいく。
ああ、無事に自分たちに被害が来なくてよかった、と。
彼らを責める言葉を、俺は持っていない。憎む資格さえ、ない。
「私だって、死にたくない……それに大切な息子まで……そんなの嫌よ、たまったもんですか!」
「……母さん!」
「……おばさん」
気がつけば、きっと台所から運んできたのだろう、増えた手で包丁を俺のほうに突き付けた昌彦の母親が居た。家業
「あんたが、昌彦の人生を狂わせた……!
あんたがこの部屋にこもってからずっと、学校にも行かずお願いです、
せめて声だけでも録音してくださいとあんたの母に頼んで、それを無視する彼女のために貯金をすべてはたいて……」
しゃくりあげる彼女は笑っていた。泣きながら……。
「あんたが居なくなれば、私の昌彦は……」
勢いよく走り込んで、彼女の手から振り下ろされる包丁。
思わず俺は目をつぶる。
俺を構うのは昌彦だけだと、知ってしまってから、命に執着するだけ無駄なような気がした。
自分勝手で不安定すぎる心だ。
急に怯えてみたり、平気だと思ってみたり。
「……?」
たしかに肉を切る音はしたのに、痛みはなかった。
けれども、温かいものがジワリと染み込んでくる。鼻につく、血液の匂い。
ああ、俺はまだ血を流すことができたのか。
痛みがわからないレベルまで病魔は浸食していたのか。
ふと、膝に乗っかる重みに違和感を覚え、視線を落とした。
そしてそのまま言葉を無くした。
「あ……き……ひこ?」
「わ……私は、悪くないっ」
腰を抜かして座り込む昌彦の母のヒステリックな叫び声。
俺の上のぐったりとした動かない昌彦。現実から目をそらしたくなった。
「京……ちゃん」
なんで、昌彦はこんなになっても笑うのか。幸せそうに、本当に満足げに。
そしてその上に、何かが落ちた。俺の涙だった。
「どうして泣くの? 京ちゃん。大丈夫、僕は、大丈夫。幸せだよ」
どう考えてもつらいだろうに、どこまで気を使うんだお前は。どうして、俺なんかにかまうんだ。
それすらも、言えない。
「泣かないで、大好きな京ちゃん」
動転した俺を、優しく包むその声は、哀愁の匂いなど少しもしなかった。
まるでこれが自分の意志だと言わんばかりに温かさを帯びていた。
「これで、どうどうと一緒に逝ける」
「逝くんじゃねぇよ……」
絞り出すように俺は言った。連れて行ってはいけない。
こいつをこれ以上巻き込んではいけない。
「俺の墓を、磨くのは誰だ? 花を添えるのは誰だ?
お前が居なくなったらそれすらもしてくれるやつはいなくなる、だから」j
精いっぱいの強がりだった。
そっと昌彦を退けて俺は立ちあがる。
と、血をポタポタと涙のように落ちた。
彼の母から携帯電話を奪い取り、警察の番号を押した。
そして、震える声で告げた。
「人を、殺した。捕まえてほしい」
「京……ちゃん!?」
どこにそんな気力があったのか、裏返った声を昌彦は上げた。
「黙ってろ。お前は、幸せになるんだ」
精いっぱいの笑顔でそういうと俺は昌彦を彼の母へと託した。
人を持ち上げれるほどの力はとうにないと思っていたのに、案外本気でやればできるもんだな、うん。
「ありがとう、な」
警察と、救急車のサイレンがけたたましく耳に響く。
同時に昌彦のすすり泣きもだ。
俺は死んでも生きてもアイツを泣かせてしまう性分らしい。
だれにもみとられなくて良い。たくさんのものを、アイツから貰ったから。
たとえもう、醜いその姿はそうは見えなかったとしても、とても安らかな気持ちで俺は意識を亡くした。
fin,
花野リボ
素材はここでお借りしました。ありがとうございました。