写真がメールで送られてきた。
ショーの仮段階の撮影のものだ。ついでに、舞台の画像も付属されている。
入口に柔らかそうな白いビーズのカーテンがあって、そこからUの字になっている舞台を一回転して戻って行くんだそうだ。
パフォーマンスは自由とあるけれど、そんな器用なまねは恵那にはできない。出来たとしても羞恥心が先立って、その場から逃げだしてしまう可能性だってある。
そんな性格なのだ、恵那は。
それなのに、なんだかんだありつつ舞台モデルをはっきりと蹴らずにいるのは、やっぱり興味がそそられてしょうがないのと、服が好きだからだろう。
自分でも驚きつつある、普段通りに断らずにそれどころか必死に執着して友達との関係をこじらせるなんて。
(……やっぱり、好きなのかな……)
「恵那、カレー出来たけれど、今日はなんだか甘くなっちゃったんだけど、それでもいい?」
母の突然の問いかけに、開きっぱなしだった携帯を閉じた。
そそくさとそれをしまって慌てて立ちあがる。最近は帰ってきた途端声をかけたかと思えばろくに会話も交わしていない。
ただでさえ近所づきあいの苦手なタイプの母は、きっとさびしい思いをしていただろう。
「別に甘くてもいいよ、今はそんな気分だから……」
「そう、なら……いいんだけ……ど……」
「お母さん!?」
お玉がカシャンと音を立ててカレーの汁を飛ばし、床にたたきつけられる。
手に持っていたのがそれだけで本当に良かったと思う。
だって母がそのまま倒れ込んで、頭を壁にぶつけてしまったのだから。
よく見れば、顔はひどく青ざめていて、唇は乾いている。
こんな時恵那はどう対応していいかわからなくて、必死に携帯を開いた。
無意識にダイヤルしていたのは池田の番号だった。
本来真っ先に頼るはずの親類はあてにならないし、それ以外で一番最後かけた番号が彼のものだったから、確認せずにそれを選択した。
「池田君!!!」
自分でさえ、耳にガンガン響く声だった。
名前を呼べば出てくるわけではないと知っていても、どうしてかとっさに声が出た。
しばらくして、通信が取れたころにもまだ恵那は錯乱状態で、意味不明に助けを求め叫んでいた。
だからこそ、異常事態だと思って出てくれたのかもしれない。
「……恵那?」
「……ぅ……う……池田くぅん……」
情けない。ほんの一言で気が抜けたのだから。
彼の声を聞いた。それだけで、ひどく安心している自分は、どれだけ混乱していたのだろう。
それとも、池田の存在がそこまで胸の中で育っていたのか。
「どうした? なんかさっきから叫んで様子が変だけど……」
「お母さんがあ……」
「……何かあったんだね?」
「……んー……」
「落ち着いて話してみて。それと、住所も教えて」
ガヤガヤと。さわがしいおとがあいてかたのほうからきこえる。
池田の名前を呼ぶ声も混ざっている。それを声で振り払って、池田は恵那の発言を待ってくれた。
「……そっか。わかった。今から向かう。安心していいよ。俺の周りはそういう事態になれてる人ばかりだから、うまく対処できるはずだから」
「……池田君……っ」
「なるべく目立たない奴ら連れてくから、安心して、なるべくお母さん動かさないで。本当すぐだから。近場の役が居るから、抜け道もわかるし」
慌てるそぶりもなく丁寧に、諭すように池田は話す。
駆け足で話しても恵那の不安をかきたてるだけとわかってやっているのか、しだいに冷静に事が見えてきた。
外に飛びださず助けを求めたいけれど、事情を説明する立場である自分がその場を離れては困るし、そもそも母の容体が変化した時大問題だ。
かすれるような呼吸の音は聞こえるから、死んではいないのだけれど、いつ何があってもおかしくないぐらいぐったりしている。
インターホンが鳴ったのは、それから五分も立たない頃。飛ぶように立ちあがり相手も確認せずに扉を開いた。
なだれ込むように受け止められた胸元は、汗でぐっしょり湿っていたけれど、何故だから全然気持ち悪くなかった。
「……恵那」
どばっっと涙があふれてくる。
腰にすがりついたままずるずると床に下手り込んだ途端、恵那は子供のように泣きじゃくった。
ゆっくりしゃがんで目線を同じ高さにした池田は、恵那の手をそっと握ってくれた。
その間に一緒の車に乗り合わせてきたらしき大人たちが中には行って、母を介抱して病院へ連れて行く準備をしてくれた。
初対面の強面ばかりだったけれど、素直に車のキーを渡して、二代に分かれて病院へ向かった。母は前に走る車に載っている。
本来は恵那もその場について行くべきなのだろうけれど、気が高ぶっているからと池田と同じ車に乗るよすめられた。
彼らが何ものかは検討持つかなかったけれど、素直にその助言を聞き入れた。
携帯で連絡をとなりながらだったから、母の様子も分かったし、泣きすぎて眠気もピークに着ていて、隣で母が苦しんでいてはきっと気になって気になって、また不安になってしまっただろう。
池田がそばに居つきそいながら、お茶をくれた。230mlしかない小さなお茶だったけれど、凄く喉にしみ込んでおいしかった。
きっとな気じゃなくってしまったから水分が部即していたのもあるだろうけれど、些細な気遣いがとてもうれしかった。
「池田君」
「んー?」
「……どうして、学校これないの? 言えないことなの?」
「…………」
「私じゃ、秘密を共有する相手にはなれないかな……」
「……表立って堂々と公言するとややこしい事情だから……それに、俺が認められたら他も必死で自分の理由を押しこんでくるだろうから」
「……よくわかんないけれど、元気何だよね?」
「ろくなもの食べれてないけど、身体的精神的には元気かな。成長期に食べれないのはつらいけど……身長にかかわったらどうすんだか。もうちょっとでかくなりたいっての」
軽く腕を背中の後ろ組んで、池田はあくびをした。目の下にはクマ。体はほんのり冷えている。
よく考えれば汗だくになった状態でそのままシャワーも浴びずに出てきたのだから、体が冷えて当然だ。
「……池田君、大丈夫?」
「だから元気だって」
「そうじゃなくて……体冷たい……」
「……温めてくれるの?」
「え」
「……冗談だよ。そんな状況じゃないのわかってるから。でもまあ、大丈夫だよ、病院付いたらあったかい飲み物でも買うから」
「私お金出す……!!」
それぐらいしないと気が済まない。寧ろさせてくれと頭を下げたって満足しない。
普段なら事実を隠しそうなタイプなのに、わざわざ公言するということはきっと本気で空腹なのだろう。
「恵那も一緒に食べてこ? カレーの匂いがしたけれど、食べた様子はなかったって聞いたから、病院じゃなくても近場にコンビニあればそこで良いから」
「コンビニじゃあ外寒いよ?」
「……見られたらややこしいかな」
「そうじゃなくって」
「でも、女の子は体冷やしちゃいけないもんね、久しぶりにファミレスでも入ろうかな……たまに外食慕って許されるよね……」
「おごるから、もっといいところ行こう?」
「今の気持ちじゃ、高級食材も美味しくないと思うよ。それに、ファミレスでも俺にとっちゃ贅沢だし、そもそも恵那財布持ってきてないよね?」
「……あ」
持ってきたのは携帯のみ。ハンカチすら、ポケットには入っていない。
これじゃあ何もお礼ができない。きっと今を逃したら彼とは当分会えないだろう。
そう思うと、持っていたペットボトルをぎゅっと抱きしめた。ぺこん、と陽気がへこむ音がした。
しばらくして、池田の携帯が鳴った。
「……病院付いたって」
「お母さんは」
「処置がうまく行ってたから、一晩泊まるだけでいいって」
「……え……」
一戸建てに、中学生の少女が一人きり。恵那みたいな小心者からしたら、いろんな意味で怖すぎる。
いっそ池田がそばにいてくれれば、なんて考えてそれはまずいと池田に見えるほうのほほをつねってじ邪心を払った。
「じゃ、ファミレスで良いよね?」
「……池田君に任せるよ」
運転席に座っているモヒカンの男性に池田は近場のファミレスの名前を告げた。
本当は母のそばに居るべきなのだろうけれど、ご飯を食べて帰ってほしいというのが母からの伝言らしい。
無理もない。自分のせいで子供が寝不足になってしまうのは彼女の性格では耐えられないだろう。
ましてや外出が増えた恵那を見て、嬉しそうに笑っていたのだから、その楽しみを奪ってしまうんじゃないかと心配までしたかもしれない。
蕎麦に居ないことこそが、彼女の負担を減らすことになるのだ。
小さい頃は、常に母の服にひっついていた恵那。可愛いねと話しかけられても泣き出してしまうような子供だった。
弟も妹も作れなくてごめんね、と何度も言われ、夜中ごそごそしていると思ったら仏壇に手を合わせて泣いているのを見た。
ひっついて、甘えてばかりじゃ不安をあおるだけだ。自立していく様子を見せなくちゃいけない。
好きだからこそ、離れなきゃいけない。
エンジンの音に、顔を上げると24時間営業のファミレスの駐車場だった。
外は真っ暗だというのに、キラキラとライトがまぶしい看板がそこにある。
よく聞く名前、よく見かける感だけれども、実は使ったことはなかった。
入店するのは値段をはっきり看板に書いてある店。中に入って予想以上に高くても、断る勇気が恵那には付属されていないから。
「ほら、降りて」
エスコートされるかのように、池田に手を差し出されふらつく足元に気をつけながら車を降りた。
助手席に座っていた剃り込みの入った女性のあくびを聞いてひどく申し訳ない気持ちに駆られた。
彼らは無関係。
池田も無関係。
それを呼んだのは恵那。
「あのっ」
「恵那、早く食べちゃお? オーダーはやめにして、車でドリンクバーとろう? 甘い飲み物とったほうが気分やすらぐよ?」
「えっと、その……」
「パフェでもいいんだけど」
「……安い方で」
後ろ向きな発言をして、この空気をぶち壊すのも何なので、黙って皆の後を追った。
前を走っていた車に載っていた女性が一人、母に付き添っていてくれるらしく、他の3人は遅れてファミレスに現れた。
恵那の頼んだドリンクバーは、もうすでに3回お代わりした後だったけれど、どれが好きな男子の前で食べてもおかしくないものかわからなくて、今だ注文できずにいた。
「恵那、食べないの?」
当然のごとく、池田に尋ねられた。
「……何食べていいかわかんなくて……」
「何でも、今の調子で食べられそうなもので良いんじゃない? ピラフとか美味しいよ?スープも付いてるし。口に合わなければ俺が代わりに食べるし。育ち盛りだから出されたら食べるよ」
「……その割には太ってないような……」
思わずこぼれた本心。寧ろ引き締まっているように感じる。
「運動してれば、そりゃ筋肉になるし、汗もかくから。で、ピラフでいいよね?」
「あ、うん」
そう恵那が言うと、池田は笑って自分のカレーに手をつけ始めた。
「不安がらないでね、俺は、絶対学校復帰するし、裏で何かされてるわけでもないから。一応勉強はやってるから、進学もできるだろうしね」
「……そっか」
運ばれてきた野菜スープを恵那はカチャンとまわしてから口に含んだ。温かい液体を喉を通り体を温めて行く。
「もう当分会えない?」
「……んー……俺が決められる事情じゃないから」
「……そう……」
「手紙ありがとね」
「あっ」
思い出す、恥ずかしい内容の手紙。
あのときは、それしか頭になくて、うまく気持ちをぼかす事もできなくて、ストレートに本音だけを書いた。
「部屋に飾ろうかあ」
「やあ……やめてえぇ」
「だって元気出るからね、お守り?」
「池田君……あ、ピラフきたよっ! 食べよ?」
「恵那のでしょ?」
「うっ……」
「それとも俺に食べさせてくれるの? ……なあんて……恵那、顔赤い」
笑って池田は言うけれど、そりゃそうだ。冗談でも刺激が強すぎる。
雑談を交えながら食事を進めて行く。だんだん緊張がほどけてきたのか、小さなあくびがでた。
「眠たい?」
「あ……」
慌てて口を覆うけれど、もう遅い。
誤魔化すようにジュースを一気に飲み干した。
「眠っていいよ。ただし車に入ってから寝。誰かに恵那の寝顔見られたくないし」
「え」
「……大丈夫、誰も手を出したりしない。家に一人は心細いなら俺の家に……」
「坊。それは駄目」
先程から同席していた剃り込みの女性が池田の言葉をはじくようにに言った。
「でも、恵那を一人で家に置いてくのは……」
「あたいが付き添っててやるよ。坊が大好きな彼女心配なのはわかる。でもこっちの居場所がわかっちゃ都合が悪いんだよ。
自覚あるからかくしてんだろ? 小学校の頃の騒ぎを忘れたか?」
過去に何があったかは知らないけれど、彼女の表情は真に迫っていて、相当な出来事があったことがうかがえる。
「……わかってるよ。でもそれが理由で恵那と会えないの嫌なんだよ。いっそ立場を捨ててしまいたいぐらいに」
「ざけんな。坊が逃げたらだれが後を継ぐんだよ。それに会えないからたまってるってんなら殴っぞ」
「そういう意味じゃないって……ただ、同じ空間に居て、雑談交わすとか、そんなん」
「あーピュアだねえ……」
聞いてるこっちが恥ずかしいような、遠まわしな池田からの愛の言葉。
思わず縮こまってもじもじしながら、恵那は俯いた。
一人は不安ではあるけれど、自分のために二人が今にも噛みつかんばかりに睨みあってるのを見て、恵那は思わず二人の間に腕をはさみこんだ。
「私、平気ですから……暗くても、ずっと住んでる自分の家ですから……お母さんも明日には帰ってくるんで、平気です。心配させてすみませんでした……!」
「頼る相手が坊しかいないのに?」
そり込みの言葉に胸が苦しくなる。事実過ぎて、言い返せない。
母にさえわがままを言うのを遠慮してしまうような子の性格では、きっとギリギリまで不安を持ち越すだろう。
自覚があればどうにかなる性格じゃない。
どこかで頼る事で失ってしまった時のショックが重くなるのを恐れている自分が居るから。
(……お父さんみたいに……)
甘えて、笑って、そんな時期が恵那にもあった。
本人がそんな意識はなくてもでも、裏切りにとれるようなその別れは、ちっぽけな恵那の世界にはあまりにも大きすぎた。
さゆや憂佳達がいらない存在なわけじゃない。大好きだけれど、だからこそ、相手が望まない形で甘える事で去っていかれるのが怖いのだ。
「恵那……」
「……取り合えず、家までは送ってく。明日になったらあんたのお母さんも送ってく。だから学校は行けよ」
「そんな、母親がこんな状態の時に平常で授業受けろって?」
「坊は黙ってろ。いざとなった時うちらんとこれんらくくれれば、まっとうな人間に見える知り合いよこすら、それでいいだろ?」
「でも」
「大丈夫です、平気ですから」
また口論が始まると思って慌てて恵那は言った。
池田派肥満毛な顔をして、そり上げを見て全員の皿を見た後店員を呼んだ。
「じゃあ、明日食べれるようなもの、コンビニで買って帰ろう? せめて飲み物かなんかあったほうがおちつくっしょ?」
「え、でもそんな」
「……俺のせいで振り回した分、なにもしてないし……一応彼氏、でしょ?」
「一応というその言葉が、凄く不快。
本人はさらっと笑っているけれど、遠まわしに一度言いだしたからには最後まで、という意味のようで。
別れをこの場で告げる事が可哀そうだと思うから、「彼氏だから」利用していいから。そんな意味に聞こえた。
本心を呼んだわけじゃないけれど、札束を取り出して会計を済ませる池田の後ろ姿に、抱きつきたくなった。
そうすれば、すぐに気持ちがわかりそうなのに、それすらできない。
振りほどかれるぐらいなら、形だけでもつながっていたい。
自分の気持ちが相手に丸わかりで、だから責任を持ってそばに居るだけだとしても、彼女という枠の中に自分だけが居る。
その特別な席を譲りたくはなかった。
名前だけ。それだけでも、そうしたが故の罪悪感からでもいい。優しくされたかった。
心底自分は意地が悪いと思う。それでも、一瞬の幸せがほしくって。
「……うん、私達付き合ってる……もんね」
押しつけるように、わざと口に出したのに、まだく喉の奥には言いたい事が詰まってると言わんばかりに息苦しくて。
泣き出しそうにお震えだす唇を輪慌てて噛んだ、
「明日まで賞味期限持つのってなんだろう……カレーあるけど、朝起きてすぐ食べるのは重たすぎるし……」
ファミレスを後にして、車の中でそんな事をつぶやいた。
「……今の私には、お握り一つでも、重すぎるよ……」
だれにも聞こえないほどに、小さく。お腹だけじゃなく、心臓もずっしり来るのは、何の重み?
目が覚めたら、書き置きだけが枕元に置いてあった。
あの五車に揺られているうちにエアは眠っていたらしく、結局どうなったのかは定かではない。
書置きの筆跡は、大きな文字でまた何でも連絡して、た追うできるかはわからいけれど、と池田と、乱雑な見知らぬ文字でちゃんと食べろよと書いてあった。
横に置いてあるのは、コンビニの袋。中に入っているのはチョコレートなどの菓子類が目立つ。
それでも、同封されていたレシートにはサラダやジュースなども記されているので、きっと冷蔵庫に入れておいたのだろう。何故か梅干しやキムチまで購入した様子。
(……一万円近く購入してある……)
一瞬意識が飛んだ。どこにそんな金があったというのだ。
ファミレスといい、お令の言葉で足りないほどにつくしてもらってる。
(……なんか悪い……彼女の変わりしてただけなのに、私それを脅しに使ってるみたいで……すっごい汚い)
ずきんずきんと痛む胸元。
その後学校へ投稿してしばらくして母から連絡があった。可愛い彼氏ね、と笑い声を添えて。
そうじゃないんだよ。その一言が言えずに、うん、大好きなのとだけ返した。
池田は、退院直前に見舞いに行き花をで渡してきたらしかった。
「恵那、今日憂佳ちゃんのとこ行くんでしょ? ショーでるなんて、凄いじゃない。私も身に行きたったなあ」
母はそう言ってほほ笑むけれど、恵那は引きつった作り笑いでその場を去るしかできなかった。
すれ違いざまに、見に行きたかったな、という声が聞こえた。
(……すぐ落ち込むの、悪い癖だな……)
混雑した電車の中で、壁にもたれかかりながら恵那は、ぼんやりとい動いて行く外の風景を眺めた。
「恵那ちゃんだあ」
「恵那ですよ」
テンションの高い真里に、愛想笑いでそう答えた。
後ろに立った憂佳は、物珍しげに周りを視察している。
「へー、此処が」
「憂佳ちゃん久しぶりー」
「……相変わらずだね……その格好」
「可愛いでしょ?」
(……え、知り合い?)
真里を見て、動じない態度で憂佳はおでこをコツンとやった。
まん中を大きなボタンで止めた、フンワリとした焦げ茶色のコートは少し暑そうだけれど、ドレスのようで可愛かった。
「憂佳ちゃん……」
「ああ、コスプレ友達なんだよね。中学時代の。主にこっちから強制的に着せてたんだけど。
まさかこんなに別人になってるとは……名札見るまでわかんなかったよ……」
「そ?」
ご満足な真里は、優雅にくるりと回ってウィンクしてみせた。
「オシャレ自体は興味あったけれど、おかげで世界が変わったよ」
「変わりすぎだって……」
呆れるような呟きにの後、二人は同時に声をあげて笑った。
それが正直うらやましくて、恵那はじーっと二人を見ていた。
「人はね、時間と努力で買われるの。良くも悪くもね」
それ気が付いたのか、真里は恵那の方へ向きをかえて、そっと髪に触れた。
「何がきっかけか、わかんないもんだよ」
「意外と身近にあったりするしねー」
「私みたいにね」
さらに恵那を抱きしめる。甘ったるいコロンの香りに、少し意識がぼんやりする。
遠巻きに見つめる生徒達は、何故か苦笑していた。
(……あ……)
そしてまた、金髪の少年を見かけた。
後姿だけだから、どんな顔かもわからないのに、一々反応している自分が情けなく、切ない。池田だったところでどうするというのだ。
別の用事で来ているのだから、自分とは関係ないし、声をかけないほうがいいに決まっているのに。
次第に話し声まで、池田のように聞こえてくる。
(……ああもう)
「恵那ちゃん?」
真里の声に、泳いでた視線を元に戻した。
「……早く行こうか? もしかして具合悪い?」
「あんたが抱きしめてるからでしょ?」
装突っ込んだのは憂佳。
当然のごとく真里は文句という名の反論を返したけれど、どう聞いてもじゃれあいにしか聞こえなかった。
「……大丈夫です。私、立てますから」
力を入れずとも、トンと体をはじいただけで、真里は恵那を自分の体からはがしてくれたので、彼女から身を離す事が出来た。
それでもちゃっかり、恵那の手は握り締めている。
「真里ちゃん、なんでこんなに着こんで……」
「秘密だからだよ?」
「えーっと、それじゃ意味すらわかりません」
舞台はもうセットされていて、観客席である組み立て椅子もしっかりスタンバイされていた。
真里達とは別の色の薔薇を付けた生徒達が、カメラや照明をいじって準備している。
ご機嫌に準備室へ入る入口のカーテンを潜り抜ける。黒い布を通っただけで、そこは華やかさに満ちていた。
カラフルな衣装に、真剣な顔でモデルを飾り付ける生徒。そして、当然のごとく入りろな系統の衣装に包まれ彼らに身を託したモデル達。
自分なんかがそこに放りこまれるように混ざっていいのかと不安に思いながら、一歩前に進む。
「じゃあ、私はこれで」
「えっ、憂ちゃん……っ!」
恵那が慌てて彼女の服を引っ張った。が、その手は虚しくも、軽く払われてしまった。
「私は無関係だもん。写真は撮るけどね? 好きだもんこういうの見るの。見るのはね」
「憂佳もモデルやればよかったのに」
「やだよ、私はなりきるのが好きなんだから。だれでもなく、設定もないオシャレな衣装着ても興奮しないもん」
真里の一言に、熱を帯びた声で憂佳。
「……興奮って……」
呆れて頭を抱える真里に、言葉に詰まる恵那。
自然と表情が和らいで、憂佳にじゃれられながら笑った。
「うん、恵那ちゃんは笑顔が一番。もっともっとリラックスしていいよ」
「あ」
真里の言葉に、慌てて大口を閉じた。
「終わったら、いいことあるからね」
「え……」
(……打ち上げ? かなぁ……)
上機嫌にしたくを進め始めた真里に何も言えないまま恵那はそんな事を想った。
一瞬で笑顔から真剣な面持ちに変わった茉莉達は、あっという間に恵那を美しく変えて行った。
目の前に置かれた全身鏡が、まるで映画化テレビを見ているような、自分でないものを見ているような感覚に襲われた。
手を動かしてみれば、鏡の中の自分もそれと同じ動きをする事で、ようやくそれが自身だとわかる。
それぐらい、恵那はほれぼれするような姿になっていた。
緑のワンショルダーレースドレスは、まるで草原で揺れる草のように風に揺れて、とても涼しげな象を持っていた。
それに合わせた赤や紅色のアクセサリーも、とても絵になっている。
ふたつに束ねたエクステには、地毛の黒髪を三つ編みにして、それをリボンにのようにしてくくってある。
雑誌の、専門学校の広告に載っていても違和感感がないのではないだろうか。
むしろ、どこかンもブランドのショーであっても負けを取らないと思う。
ネイルチップをゆっくりつけてもらう間、座ったままぼうぜんと自分を見つめていた。
「……見惚れちゃって」
「……えっと」
「素敵でしょ?ファッションって。自分じゃない自分にも、自分らしい自分にもなれる。勇気の素にも、不安の素にもなるけれど、凄い力だよね、それって」
手を動かしながら、そっと真里は語りだした。
「……誰かを、動かせるんだよ。自分でも、相手でも。特別何かしなくても、見ているだけで買い物行きたくなったりするでしょう? 家から出たくなるでしょう?
そうなりたいって願うでしょう? それを、私もできたらなって思う」
「……真里ちゃん」
私も、と言えなくて、恵那は口をもごもごやった。
この細い手で、このドレスは作られたのだと思うと、真里の手は何よりも素晴らしい手であるかのように輝いて見えた。
「それは、いろんな業界で、いろんな形で存在することだけれど、自分が好きで、大好きで、如何してもしたいって思える事でなら、もっと頑張れると思うから……恵那ちゃんも、好きな道、選ぶべきなんだよ」
ね? ト問いかけるように茉莉は恵那の手をトントン、となでた。
キラキラとしたすトーンで彩られた紅とシルバーと黒を基調とした爪先を見ていると、自分の手さえも特別に感じられた。
造花の小さなバラや紫のカットストーンのせいかもしれないけれど。
この手で、何かを作れるのだろうかと思うと、恵那の気持ちはどんどん高ぶってきた。
(……私も、誰かを動かすの?)
言葉で何も言わなくても、はっきりと手を引っ張っていかずにでも。
「ほら、恵那ちゃん、見て」
「……綺麗……私が……凄く綺麗」
「でしょう?」
真里に連なって同じ班の仲間も恵那をほめたたえる。なんだか恥ずかしくなって、口元に両手をやった。
「……皆さんのおかげです」
「点数はつけられるけれど、それを気にする必要はないからね。技術点を採点されるだけで、恵那ちゃんの価値が否定されるわけじゃないんだから」
「足を引っ張ったとか、悩まないでいいし、恵那ちゃん在りきのデザインだから。今回は」
「そうそう」
「もうすぐだー……」
「一応観客はいるけれど、招待制だから安心して」
真里に加わり他の生徒も笑顔で汗をぬぐい、順番を待った。
心臓の音が、雑談の声に交じり聞こえる。でも、逃げない。
(……此処を超えれば、少し度胸も根性もつくはず……それに私は一人じゃないんだから……)
ちらりと隣を向いて真里に目配せをする。即座に彼女からは笑顔が返ってきた。
大丈夫だ。いける。
「2―B 5班!」
(……私達だ……っ)
びくん、とおびえるように震えたけれど、こぶしを握り締めて一歩前に出た。
照明の光に目がくらみかけながらも、ゆっくりと歩いて行く。真剣な目で観客達が恵那を見つめる。
目線を上にあげ、まっすぐと進んでいく。自分なりにどう動けば服を魅力的に見せれるか考えながら動いた。
ふらつきながら舞台から去っていくと、真里にグイッと何かがが入った包みを渡された。
「おつかれー」
「えっと、何ですかこれ」
「次の衣裳」
「……えっ、もう終わりじゃ……」
「採点はされないよ? 二次会みたいなものかなー……皆それぞれ着せたい衣装着せて、それでモデルさん紹介して頭下げてくの。
あがんなくていいからね、写真撮っていいのは身内だけだし、その後美味しい食事とお土産が出るよ?」
(……お土産)
「……わかりました。着ます」
「その間に先生方が採点をまとめるっていう目的もあるんだけどね」
真里はそのままカーテンを引いて笑顔で去っていった。
正直真里が近くに居ないのは不安ではあったものの、いつもの女子生徒が着替えてる間、布越しに話しいかけてくれたので、たわいもないおしゃべりを交わした。
「できた?」
「はい」
「鏡見てみて、きっと綺麗」
「……うわ……」
言葉通りに鏡に映る自分を見て、恵那は息をのんだ。
そこに居たのは、まるで結婚式の花嫁のような自分で。
女子生徒に至っては、後ろで誇らしげな笑みを浮かべている。
「ど? うちら短期間で仕上げたんだよ。あの子の我儘聞いてさ」
「あの子……って真里ちゃん?」
「……まあ、そう」
一瞬目を泳がせて、もしゃもしゃと彼女は言った。
そう言えば、真里の姿が見えない。どんなに目で探しても、それらしき人はいない。
皆それぞれドレスアップされていて、ボリュームのある衣装の生徒も多いから、一人ではどうしても見つけれないし、この真っ白なドレスを汚したくなくて、一人途方に暮れた。
肩を出したVネックの白いドレス。未k儀サイドで束ねた巻いたエクステ。ベールをかぶればまさに花嫁。
自分でも、ここまできれいになれるんだと思うと、本当の結婚式が今から楽しみになった。相手を一瞬頭に浮かべて、必死で否定しようと靴をはき直した。
ヒールの高いパンプスは、長い裾で見えなくなっているけれど、美脚効果は絶大だ。
(池田君と結婚式……なんて、ありえない妄想はやめよ……虚しいだけだよ)
恵那は、唇がすれて薄れたリップを引き直して、ぼんやりとした。
また、誰かがこちらを見てひそひそやっている。当然のごとくマサトとという名が飛び交う。わけがわからない。
それが誰のことだからもわからずに、はっきりしない気持ちのままその視線を無視した。
それは异酒笑うような、小馬鹿にしたものではなかったけれど、気持ちのいいものではなかった。
しばらくして、大方の準備が終わったのかほとんどの生徒が舞台だった方向へと歩いて行く。
恵那もいつもの女子生徒にエスコートされながら出て行った。
そして、すぐさま足を止める羽目になった。
「……えっ……」
舞台の上には、白いタキシードで決め込んだきれいな男子生徒が立っていた。
「……恵那ちゃん連れてきたよ」
その女子生徒の声に、そのひとはゆっくり振り向いて、花束を素っと差し出してきた。そこでようやく、自体が呑み込めた。
「……まっ……まりちゃん!?」
「……本当はマサトって読むんだよ。知ってた?」
「ええっ」
たしかに、今目の前に居るのは紳士風の男子そのものだ。長い髪は一つに束ねて、王子さまみたいだと思った。
顔だって、いつものバシバシくるりんまつ毛につやつやリップではない。そして当然胸はまったいらだ。
混乱する思考回路の中、目の前には困ったように笑う真里……まりじゃなくてまさとと読むらしい。
「……だから最初から言えって言ったのに」
「でっちん……嫌だって言いにくいって。恵那ちゃんの男慣れしてないっぽい雰囲気ムンムンだったし、一応雑誌がらみだったから……
そもそもでっちんがふざけて読者モデル登録するから悪いんじゃん……」
「だあって、私だって読者モデルと会いたかったんだもん。付き添いで」
「……性別詐称で全世界に写真発信される身にもなってほしかた……」
「そんな事言ったって、女装が好きなのは事実でしょう?」
「私……僕のはたんにオシャレの一つ。着たいから着るだけで女の子になりたいわけじゃないんだってば……
雑誌側には企画でばらすからそれまで黙ってって言われるし……だから恵那ちゃんまでだます必要ないって何度説得したか……」
(……ええと、コレはどういう事……?)
真里が男なのはわかった。それぐらいなら、混乱していても理解できる。
読者モデルとして性別詐称していたのもこのでっちんと言う女子生徒の犯行で。
「……ごめんね、恵那ちゃん」
(……普通に気がえ見られてたんだけど……)
「……っ……」
恥ずかしさから、顔をそむけた。流石に泣きはしないものの、ショっックは結構大きい。
自分の体系には自信がないし、下着姿なんてみられたくなかった。
真里は普通に接していたけれど、それでも心では何を考えていたのかわからない。笑っていたら、嫌だ。
(男の子なのに、こんなにきれいで、すんなりモデルになれちゃうって……凄いことだよ……道理的には間違っていても)
純粋にうらやましいとさえ思う。
「……恵那ちゃん? 本当ごめん、傷つけたよね」
「…………」
「でも聞いて? 僕が言いだせなかったのは、恵那ちゃんが僕が私になるきっかけだったからだよ」
真里のその一言は一瞬どういう意味かわからなかったけれど、深く考えてもやっぱりわからなかった。
「……ダサいころから、憂佳ちゃんに見せてもらったアルバムに居た恵那ちゃんは、いつだってお洒落だったから……
僕もこんな風に可愛くなりたいって思ったら、気が付けば着てた。てか憂佳ちゃんが着せてきて」
憂佳なら、確かにこの美貌を見た瞬間着飾らせたいと思うだろう。
何せあの人に着せたいがために数万の服を自腹で買ってくるような人なのだから。
「ずと恵那ちゃんにあこがれててたんだよ? 憂佳ちゃんがプリクラ見せびらかしてくるたびずっとやきもきしてた」
「……私は、そんな」
「あーもうまわりくどい!! さっさと告白しちゃいな!!」
「でっちん! ……ああもう……」
真里が真っ赤になって女子生徒を睨みつけた。相手は余裕の顔でああっカンベーをして挑発している。そして恵那は悶々と悩んでいる。
(……告白……?)
誰が、誰に。
(…………)
「……真里ちゃんって私の事が好きなの!?」
「把握するのが遅いよ恵那ちゃん。真里がうじうじしてるからわるいんだけど。ほらみんなすごい注目してるじゃん、
さっさと済ませてやんなよ」
ふと舞台周辺を見てみると、皆下に降りて、好奇の目で三人を見ている。
本来は舞台上でワイワイやる予定だったからか、全員が顔が判断できないぐらい前のほうに詰まって寄っている。
まるでライブ会場みたいだ。
「恵那ちゃん、これ、僕から」
「え」
すっと差し出されたのはショート丈ベールだった。
白を基調としたレースに、淡い桃色のパールと増加の薔薇が飾られている。
綺麗だと思った。そして、見とれてしまった。
「載せていい?」
「え」
「……結婚式みたいでしょう?」
「!」
穏やかな口調なのに、なぜだか腹の中がむずむずした。
臨んだ相手じゃないからだろうか。想いは嬉しいのに、どこか素直に喜べない自分が居た。
「まった!!」
突然、集団の中で誰かが叫んだ。
驚いた真里はベールから手を離し、とっさにそれを追いかけた恵那はヒールに躓いて飛んだ。
そのまま観客側のほうへ飛んだのに、痛くない。きっといろんな人を下敷きにしてしまったのに違いない。
目が開けられないまま、恵那は身動きとらずだんまりしていた。
「恵那ちゃん!」
真里の声だ。ざわめきも、どんどん大きくなっている。
きっと下敷きの人たちが心配なのだろうと、ようやく恵那は目を開いた。
すると。
「……池田君……っ!?」
目の前には、黒いスーツを着た池田。一応許可札を探しているので、不侵入ではないようだ。
それでも、どうしてまたここに。そう言いたいのにドキドキが強くてそれ以上何もしゃべれなかった。
抱きとめられたらしく、池田の腕で恵那の方を包むように抱きしめられた状況は、もろに胸がぶつかり合っているし、すごく緊張する。
「……大丈夫?」
「…………だい……じょう……ぶ」
(じゃないけど……本当は)
「……恵那?」
体が震えだして止まらない。この前会ったばかりだというのに、ずっとずっと会いたかった。
目の前に、顔がすぐ近くにある今、それがあふれ出して恵那からも思わず抱きついてしまった。
「恵那ちゃん」
真里がツンとした声で名前を呼んだ。
「……この人だれ?」
もっともな質問だ。真里は池田を知らないだろう。逆に知ってはいるだろうけれど性別を正しく理解しているかは不明だ。
「えっと……」
「続きしないの? 雰囲気は壊れちゃったけど……いつか恵那ちゃんにぼくの重い絵が居た服を着てもらって、こうするのが夢だったんだけどな……」
悲しげな吐息をもらしながら膝を曲げて、舞台から二人に向かって手を伸ばす。
かがんだ腰は、細く、やっぱり真里は綺麗だった。
「……駄目です」
「…………何で? 君は恵那ゃんの何なの? たしか警備のアルバイトだったよね?」
(……え、バイト……?)
そう考えればつじつまが合う。バイト禁止の学校に、黙って休む事も、県外のここまで足を延ばすのも、
全部バイトのため……何故バイトしなきゃいけないかは謎のままだけれど。
そんな事を恵那が考えてると、池田派しっかりとした面持ちで真里を見た。
「恵那の彼氏です!!」
そのあまりにもはっきりとした声は、会場中に響いた。
「池田くっ……」
「そうなの? 恵那ちゃん」
真里は少し不機嫌そうだった。それは、恵那の態度がはっきりしないせいかもしれない。
真里の事は好きだ。でもそれはあこがれで、そのあこがれもまた男性に向けたものとは違っていて……。
「私は、少なくとも池田君が好き……です! ごめんなさい……」
「……へえ」
「……「マリちゃん」の事はすごい好きだけど「マサトさん」の事は、初めて出会った人のようなもので……」
「ふうん? この子もマサトって名前なんだね」
池田の名前プレートを、指で真里はつつ言った。
「同じ名前なのにね。好きだよって、名前を呼んでるだけなら同じなのに……ね」
諦めたように、真里は立ち上がり、汚れた膝をパンパンとたたいた。
そしてにっこりと笑って、二人を上から見えた。
「……池田君?」
「何でしょうか、わたしませんけど恵那は」
真里に警戒心を抱いたのか、さらに抱きしめる力が強くなる。
振りほどく気もしないぐらい、幸せな状況に恵那は寄り添う事で表情を周囲から隠した。
「ベール、恵那ちゃんに掛けてあげなよ。そこ、カメラかして」
「え」
呆然としている2人をよそに、真里はさっさとカメラが借りからカメラを奪い取り、二人を舞台に引っ張り上げた。
きゃしゃな体つきなのに、意外と力があることに驚きながら、されるがままに向かい合わせに立たされる。
冷やかしのヤジは、一切飛ばない。代わりに熱い視線が大量に飛んでくるけれども。
「いい……?」
池田がたずねるように囁く。
「……うん」
拒否する理由はない。恥ずかしさはピークだけれど、夢にまで見た状況なのだから。
手が伸びて、ベールのレースが顔に触れるたび、心臓が跳ねかえってきていちいちドキドキした。
「……ほら、綺麗だよ」
そっと載せられたベールの重みなんて、ないようなものなのに、何よりも大きな贈り物に思えた。
コレが、池田の気持ちだと思うと、嬉しくてうれしくて何も言えなかった。
「はい、コレ指輪。って言っても打ちの生徒が作ったものだから、サイズ合うかわかんないけど……ハートの宝石もちろんラインストーンを削っただけだけどね」
間を開けずに、真里が指輪を池田の手に置いた。自分だって、失恋したばかりできついだろうに、終始笑って写真を取っていた。
よりにもよって自分が好きだった相手の、偽ウエディングなんて目に焼き付ける必要はないのだけど、彼にとってはそれがはっきりとした諦めのきっかけだったのかもしれない。
そんな真里笑の眼の端には、うっすらと何かが光っていたから。
「……指輪……どこに入れる? コレ後ろで調整できるみたいだよ」
「…………くす……り……指……」
自分の欲望をむき出しにしているようで、言った瞬間顔がカアーっとなった。
うっとおしいと思われただろうか。
数か月前までろくに会話も交わしたことなかったくせに、何を望んでいるのだと、恋愛を楽しみたいだけならば、きっと重荷にしかならないだろう。
「……そうだね、恵那の特等席だもんね」
恵那の不安を打ち消すようにはにかんで、池田は恵那の右手の薬指に指輪を通した。
「……結婚指輪は、まだ俺らに居は早いけど、とられる前にこの場所は俺が守っとく」
「……っ……ありが……とぉ」
「泣いてたら、綺麗に取ってもらえないよ?」
「……ううう」
一瞬歓声のようなざわめきが起きた後、皆それぞれ束になって、テーブルを引きだしてきたり、食べ物を運んできたりして、ワイワイやった。
隣に大好きな人が居るだけで、安いコンビニのお菓子すら特別美味しく思えた。
「ごめん、学校休んじゃって……」
ショーの帰りの電車で、二人並んで座っていると、池田が突然口を切った。
「え……あ、うん」
理由は不明であれど、元気にバイトしていたのだから、それを知れて安心はしていた。
けれども、中学生を借り出してまでしなければいけないなんて、過程はどうなっているのだろう。それなのに、この前は大量に食べ物を買ってくれたりもしたし。
「……あー……経営厳しくて……息子の俺が動かなきゃきついんだよね……親父は顔割れてるし……一応変装してるけど、わかりやすいところに傷跡あるから……」
もごもごもご。周囲に聞かれたくないのか、池田の声は小さかった。なので恵那は極力何も言わず、視線で相槌を送った。
車内は時間が時間なだけに人であふれているのだから、仕方がないとも言える。
学校で大っぴらにできない理由を、知りもしない人にまで聞かれるのは恵那だって嫌だった。
「……親父が、プロレスジムやってて……たまに自分も舞台に立ってるわけでさ……」
「……!」
恵那の頭に浮かんだのは、あの強面の人たち。プロレスラーと聞けば、納得するぐらい、彼らは筋肉が付いていた。
傷跡も、それ5鳴らしたがない。
「よりにもよって悪役専門なんだよ……だから恨まれまくるし……小学生のころとある男子がいじめられてたから助けたら、芋づる式にそれがばれて、
中学は遠めのところ選んで、大人しくしてたつもりなんだけど……流石にあの状況で知らんぷりするのは嫌で」
だから、平凡で幸せだった自分の立場を犠牲にしたのか。
優しいんだな、なんて思いながら、自分は恵まれていたのだと思う。
普通に学校へ行って、そこそこ自由に過ごしているのだから。
それよりも、その事実を教えてくれたということが、恵那にはすごく大きなプレゼントに思えた。
秘密の共有? そんなものではなくて、自分がかれにとって他の事は違う枠に入れた気がしたからだ。
「彼女」とひとくくりにすれば終わりかもしれないけれど、中には出会ってなんとなく付き合ってるだけの彼女彼氏もいるのだから。
「学校……行きたいけどなー……ど? 最近」
「……普通すぎて怖いよ、池田君が居ないのにみんなが普通で私だけ普通じゃないの、寂しくて不安で……」
他の子たちがどうしてあんな風に笑えるのかがわからないぐらいに、いつもいた池田の席を見ていると、恵那の気持ちは不安定になる。
「……別に親が恥だってわけじゃないんだけどね……一応昔人気あったから、そっちでややこしいのと、現役も結構いい感じなわけよ。ほら、この前連れってった女のほう、見覚えない?」
「……あー……」
言われてみれば、テレビでCMで見かけた悪役レスラーに似ている。
鞭持って、子供を追っかけ増していたような。言われてしまえばすぐに、顔と名前が一致する。
「……一応金はあるんだけど、いつ怪我するかわかんないし、ウチのレスラーにあこがれて事務に入りたいって奴が増えて……新しく建て直そうってことになってるんだ、今」
「たしかにそれは……お金掛かるね……」
あのボロボロビルを改装するわけにもいけないし、きっと新しく買うか建てるかしたほうが都合が良さそうだ。
「恨み買いやすいし、腕の立つ人ばっか集まる業界だから、俺も仕方がなく人並み以上に強くなっちゃったし。
悪目立ちすんのがやなんだけど、もう少し強くなれば加減もうまくなるのかなーと一応訓練はしてる……」
「でもそれがカッコイイよ?」
二人の顔は、夕焼けよりも赤く、ばかばかしいぐらいに一言一言に照れていた。
「……恵那は、絶対巻き込まないようにするから。安心して?」
「してる。だって池田君なら守ってくれるでしょ?」
恥ずかしがるのをやめて、しりすぼみな声だけど、本音を伝えた。
一瞬目を見開いて、池田を思い切り顔を崩した。
「……うわ、まじその言葉うれし……」
自分でも、よくこんな甘ったるいセリフを吐けたものだとは思う。
それでも、それが本心な場合はどしろと言うのだ。
「学校、お昼だけでも顔出そうかなー……給食費は収めてるんだからもったいなく思えてきた」
「……でも、私と違うクラスだから、あんまり……」
「大丈夫、放課後も給食室に顔出しに行くから」
「……行先はそこなの?」
「恵那のところが先だよ? まあーっさき」
わらながらひどいバカップルプリだと思う。
池田が止めないのもあるけれど、終点までが目的地と言う余裕ゆえの電車の中の空間が、それを直に増長された。
一人、また一人車内から消えて行く。
そして、終点駅で、アナウンスが鳴り響いてからしばらくしたころ。
世界は、二人だけのものになった。
車両さんも点検に必死で、声をかけようともしない。車両丸ごとが二人の空間。
ねっとりと熱い視線を絡めるように送り合って、一瞬くt8血ビルを寄せ合い、離した。
口づけをかわそうと思えば、あっさりできる。
それでも、もったいぶってそれを避けたのは、心の準備ができていないからではなくって、寧ろ胸がいっぱいだったというたとえが等しいだろう。
「……送ってくね」
立ちあがると同時に、池田は恵那の手を自然握り、指輪を指でなでた。
それは、キスの代わりのようで、それよりも自分達にしか見えない形の愛の囁きに感じられた。
疲労感に満ちたサラリーマンに、これからどこ行くかを話し合う女性達。
ここに居る、自分たちは、見えないバリアーで守ら高のように、熱気を保っていた。
もちろん手のぬくもりは、何よりも暖かかい。
「ねえ……プリペイド式って受信はできるんだよね? 電話も受け取れはするんだよね?」
恵那は、もしやと思って尋ねることにした。
「え、まあそうだけど。それがどうかした?」
「私、お小遣い無駄に使わないで、洋服もリメイクで我慢して、毎日池田君に電話する。
定時になら、出られると思うから……それなら、毎日二人だけで会話、できるよね……?」
自分でも信じられないほど、積極的な発言だった。
(……何言っちゃってるの……押しつけがましいよ……でも、やっぱ毎日声が聞きたい……ああもうやだ、頭の中パンクしそう)
「恵那……」
びくん、と方が揺れる。そんなことしなくていいとつっかえされたらどうしようか。
「……気持ちは、嬉しい」
ああ、やはり。
「……でも、我慢はもったいないから、直接会おう?」
「……え?」
思った以上の大きな「変わり」に恵那は思わず間抜けな声を上げた。
「結構送迎で車使うから、会いに逝けるし、迎えにもいける。
夜中だから、お母さんに許可いただけるか自信ないけど、変なことはしないし、行先は海上裏だとか、そんな安全な場所だから」
待合室とか、連れてくやつらが泊まるホテルのカフェだから、安全は保障できるし」
「そこまでしてもらっていいの? 電話ぐらい私だって、するし……一方的に尽くされるのは、嬉しいけどなんか切ないよ……」
自分の気持ちだけがたまって行って、行き場のない愛情をどこにぶつけていいのわからなくなりそうだ。
もちろん、お金が直接愛にムズ美つくわけではないけれど、それでも、何か形として手渡したいと思うのだ。
「……じゃあ、時々お弁当、作ってきて? 一緒にそれを食べながらしゃべればいい。学校へまたいけるぐらいお金がたまったら、おそろいの何かを買おうね」
おそろいの気持ちはもうすでにこの胸にあるよね、なんて言葉が浮かんで、恵那はぶんぶんと頭を振った。
駄目だ、幸せすぎておかしくなってきた。幸せな混乱を振り払おうと、近場に合った自販機で、ジュースを落とした。
(コレで頭冷やそう……)
「暑いから、コレ飲みながら帰ろう?」
池田のぶんも落として、押しつけるように渡した。
池田は苦笑いを浮かべながらブルタブをひっかけ、ジュースを開けた。
そしてクイ、と一口含むと「美味しいね」とささやいた。
(幸せだ、本当)
「恵那、確かこの次を左だよね?」
「あ、うん、もう此処で良いよ、すぐだから」
「数秒でも長くいたいの、俺が」
池田はねたような顔をして、恵那の頭をぽんとなでた。
「……大丈夫、世界で一番池田君の心の中にいるのは私であるよう頑張るから」
恵那の一言に、池田はしばらく固まっていた。
それが可愛く思えて、恵那は珍しくげらげら笑った。
少しづつ自分が好きになって、積極的に慣れているのだと思うとさらに嬉しかった。
家につくと、携帯が鳴った。
それは真里からで、付属されていた写真は、待ち受けサイズに加工した池田と恵那の嬉しそうな笑顔だった。
fin*
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